見出し画像

きまぐれカード紹介⑤ アイズ・カノープス

 むかしむかし、武蔵国──まあ、今の東京とか埼玉じゃな──の、蝶某字という所に、仙太郎という若者が住んでおったそうな。

 蝶某宇というところは、当時はとにかく田舎でな、近くに街道も通ってはおらず、ただ田んぼやら畑やらが、だだっぴろく広がっているだけの、寂しい村じゃった。人もほんの少ししかおらんでの、もしかしたら犬猫鶏の方が多かったかもしれん。

 仙太郎はそんな村の普通の百姓の家に生まれて、普通に育ったそうじゃ。何にでも興味を持ってしまう好奇心旺盛な子供で、よく木登りやら川遊びやらで怪我をして帰ってきては、えらく気の強い母君に怒られていたそうな。

 仙太郎がもう十五、六くらいのとき、村では日照りが続いての。あまりに雨が降らんもんじゃから、育てておった野菜などはほとんどだめになってしまったんじゃ。困った村の人々は集会を開いたんじゃが、どうにも神さまに頼む以外に方法はない、ということになった──つまり、生贄を捧げるということじゃな。

 はっは、そりゃ今の若い子には理解できんじゃろうのう。ええ?

 生贄。

 「贄」は「貝で丸っと幸せ」と書くが、こりゃその通り、貝というのは財産のことじゃから、「財産を差し出せば解決するだろう」という、決めつけ思い込みのご都合前向き愚考じゃな。まあ当時は、まだ山岳信仰やら八百万の神やら、いろいろ残っとったからのう。生贄を捧げるってえのも、まあ、普通じゃったんじゃな。

 それで、蝶某字の南の端には蝶某山という山があってな。その頂上のあたりに、小さな小さな神社があっての。その祭壇に、いい年頃の男子を捧げよう、となったんじゃ。大体こんな時は村で一番美しく穢れを知らない少女が捧げられそうなもんじゃが、どうしてかその神社に祀られた神が女神だとかなんやらで、結局男を、ということになったそうな。

 うむ、話の流れからしてわかるとは思うが、生贄には仙太郎が選ばれたんじゃ。彼は好奇心旺盛な気性はそのままに、顔立ちは凛々しく、背も高く、賢く、立派に成長しておったから、まあ適任といえば適任であったじゃろう。彼も「村のためになるなら」と嫌な顔ひとつせず引き受け、これで村の重役たちはほっと一安心、「この日照りもやっと終わるだろう」とみんな喜んだというわけじゃ。

 後日、家族や友達と別れて、仙太郎は村の長老やお偉い方に連れられて山を登り始めた。もう山へ行ったら帰ってこられないのだから、涙、涙のお別れであったじゃろうのう。とりわけ仙太郎の両親の悲しみは大きかったそうでな。父親なんて三日三晩泣き続けてとうとう寝込んでしまった。

 さて。山道を行く仙太郎らじゃったが、蝶某山というのはろくな山道もなくてな、木々が深く深く生い茂っておったから、太陽の光もようくは届かず、その日は雲が多かったのも相まって、昼間なのに夜中のように暗かったようじゃ。

 一行には仙太郎と同じくらいの年の者はおらんでの、彼はずっと無言で歩いておった。まあ話し相手がおったとしても、こんな状況では喋るのはつらかったかもわからんの。一緒に歩く村の重鎮たちは、日照りへの不満、仙太郎への感謝、今後の豊作への期待などを次々に話しておって、とてもこれから贄を捧げにいくなどとは思えない姿であった。いや、逆に罪悪感などを感じずに済むようにしていたのかもしれんがな。

 そんな中一行は歩いていくのじゃが、途中で仙太郎は違和感を覚えての。

「おかしい。もう半刻は歩いているのに、まだ山の中腹にもなっておらぬ」

とな。半刻とは今の言葉では約1時間じゃ。

 そもそも蝶某山というのは決して高くない山であったのじゃから、1時間程度で頂上まで辿り着けるはずであったんじゃが、見えている景色から察するに、まだ頂上までだいぶ距離があった。仙太郎はよく山に遊びにいっていたからわかったんじゃな。

 大人たちにもこのことを伝えたが、「気のせいじゃろう」と気にしてもくれない。まあ昔は今より時間におおらかじゃったからな。

 それからまたしばらく歩いた一行じゃったが、日が傾いてきたところで、やっと大人たちも異変に気がついた──と言うよりは、「気付かされた」の方が正しいかもの。

 急に襲いかかってきた寒気にただならぬ気配を感じて、ふと周りを見渡してみれば、そこはもう山ではなかった──周囲に生い茂っておった木々は消え、真っ赤な空には黒い雲が浮かぶ。まるで地獄そのものじゃった。それより酷いかも知れんのう。もしかしたら。

 だれも声を出せなかった。悲鳴ひとつあげられずみなその場に固まってしもうた。地獄の地面に一行の足は縫い付けられた。

 (……いったい何が。何が起こって)

 仙太郎はその賢い頭で考えた。でも何もわからなかったんじゃ。彼の知らない世界で物語は進んでおった。

 (妖怪に化かされたのか……これが怪異なのか?)




 時は過ぎ、仙太郎を送り出した村ではもう夜になっておった。送迎役の村の長老らの帰りが遅いことを少々気にし始めたころじゃった。

 「遅いのう。もう帰ってきても良さそうなもんじゃがな」

 「儀式の準備に手間取ったんじゃろう」

 などと話していた時、遠くから声が聞こえてきたんじゃ。最初は獣の声かと思っておった村人たちじゃったが、そのただならぬ響きにみんな思わず耳を澄ました。

 聞こえてきたのはなにかの叫び声じゃった。


「ァ、ァァ……ッッッ……!!」


 声にもならないその悲しく、哀しい魂の咆哮は、どことなく仙太郎の声に似ていたそうじゃ。






 うん?仙太郎はその後どうなったかだって?うむ、まあもう二度と村に戻ることはなかったそうじゃな。村も結局日照りが収まることは無く、村人はほとんど全員餓死してしまったそうな。

 ではなぜこの話が伝わっているのか、やっぱりその点を疑問に思うんじゃな。うむ。














 



 

 まあ、わからんならそれでもいいんじゃが……







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?