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なぜ私に猫耳をプレゼントしてはいけないのか

この前、男性(あえてそう書く)からベビーピンクの猫耳付きヘッドフォンをもらった。そのときは「いらない」と笑いながらそれでもちゃんと敬意を払って受け取ったけど、家に帰ってまじまじとその猫耳付きヘッドフォンを見ると嫌悪感が生まれてストレージの奥底にしまった。しまったが、数日たった今も拭えないほどの怒りがあり、自分を蝕んでいるので、せめて「今後猫耳(だけじゃないが)をもらわないために自分の主張を記す」ことにした。即座に売り払うか完膚なきまでにぶっ壊して不燃ごみに捨てるかも考えたが、人からのプレゼントを粗末にするのは仁義に反する。2月にそれを受け渡しできることになっているのでいち早く時が過ぎればいい。

まずはじめに伝えておきたいが、本文は個人の人格や性的嗜好を否定するものではない。別に好きなものは好きでいい。が、私にくれるなと言いたい。

猫耳について

猫耳の捉え方も人によって様々だと思うが、やはり1980年代以降の傾向から捉えるに「萌え」(今も使うのだろうか……死語の可能性もある)の文脈が強いだろう。デジタル大辞泉では以下のように記される。

もえ【×萌え】
ある物や人に対してもつ、一方的で強い愛着心・情熱・欲望などの気持ちをいう俗語。必ずしも恋愛感情を意味するものではない。

[補説] 平成2年(1990)前後から漫画・アニメ愛好者の間で使われ始めたという。そのため、対象も初めは架空の人物が中心であった。意味についての確かな定義はなく、対象に対して抱くさまざまな好意の感情を表す。感動詞的な用法もある。

「萌え」そのものはジェンダーを問わないが、代表的な感情には保護欲・庇護欲を伴った疑似恋愛的な好意や愛着、フェティシズムや属性に関わる嗜好・傾倒がある。

猫耳は単に「かわいい」だけの枠にとどまらない。猫は、漫画表現(あるいは日常会話においても)では、「甘える」表現で描かれることも多い。また、猫という生き物は現代社会においてはペット的要素が強い。わかりやすいようにかなり強い言葉で言えば「愛玩性」を含む。

プレゼントとして適さない理由

こうしたことをふまえるに、単に「かわいいから贈った」といえば、それは「非常識ですね」と言わねばならず、こうした含意を理解して贈ったといえば「失礼ですね」という話になる。

無論、贈られる側がこうした性的嗜好を持っていたり、猫耳そのものが好きである場合は話は別である。むしろ大変喜ばれるだろう。しかし、私がこうした表現を好まないことはたやすく想像できると思う。これまた、私自身がこうした問題に一切口を出していない人物ならばまだしも、ジェンダーについては過敏な反応を見せているし、しばしば主張もしている。知らなかったといわれればそれまでだが、だとするとよく知らない相手にプレゼントするものではない。

付け加えておくと、色の”センスのなさ”も問題だ。色そのものの嗜好を問うわけではなく、まだ一般に広く浸透されている意味での「ベビーピンク」のイメージがよくない。そうした色を躊躇なく選べることを”センスがない”と呼んでいる。
ちなみに3年前にも同一の人から「tmrrさんは選ばなそうだから」という理由付きでベビーピンクのLightningケーブルをプレゼントされたが、私がなぜその色を選ばないのかというのは一度ご検討いただきたいものである。

「30歳になって必要な要素」発言

もっとも許せなかったのは、茶化してセクハラを批判した際に(これに関しては私もまずかったと思う。はじめからこのようにはっきりと不快感を示すべきであった)、酔っ払ったついでに「猫耳を贈った言い訳」をしてきたことである。その際、「30歳になることを特別視していたので、tmrrさんに必要だと思った」というような内容を発言していた(機能性とかの話もしていたけれどそこが頭にこびりついているので、もしかしたら曲解しているかもしれない)。

これをセクハラと呼ばずしてなんというか。つまり、30歳という大人の(あえてこう書くと)女性に対し、庇護欲・保護欲をかきたてられる対象となれと言っているわけだ。それが必要だと。
繰り返すが、そうしたことを女性性に対し求めること自体に何ら問題はなく、そうしたことを好む人間とどうぞよろしくやっていただくぶんには一向に構わないが、「私は」そうではない。そうではない相手に自らの(これまたあえて強い言葉で言えば)「女性観」を押し付けることは本来的な意味でのハラスメント(=いやがらせ)になる。

ジェンダーの問題に限らず、人間には認知や嗜好があり、これを何人も否定してはならない。ただし、表現する場合は別だ。センシティブな話題であることは重々理解する必要があり、内容如何によっては相手を侮辱し、傷つける可能性があることを認識する必要がある。

それから、「tmrrなら許してくれると思った」という発言は通用しないことをきちんと付け足しておきたい。私の性格を見越して多少の失礼は許されるとそういうこと?見くびるな?

おわりに

ここまでくどくどと書き記してきたが、猫耳をプレゼントしてきた相手が私の発言を理解できるとは思っていない。せめてこうした問題が地雷であって今後は触れないようにしようと思ってくれることを願うばかりだ。

あと、他人からプレゼントを貰ってそれを喜べないどころか否定していること自体には、人として謝りたい。お気持ちはありがとう。でも、今後は贈ってくれなくて大丈夫です。

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