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おもしろいほうが、おもしろい。

供養の記事を書こうと思う。昔むかしの、まったくおもしろくない話。

よくある話ではあるけれど、小学5年の頃からクラスの女子に何となく弾かれるようになり、面倒だと思って男子と遊んでいたらそれが加速した。1-2週間単位でクラスの女子の愚痴の矛先が変化し、それについてゆくことも難しく、担任も全く信用できなかった。その地続きに中学生生活もあった。品行方正には程遠いのに、(公立中学校の生徒の平均値と比べれば)能力がアンバランスに高く、馴染めなくて大嫌いだったのに(そしてきちんとそうした役割につくことを真正面から断ったのに)頼られて、やっぱり期待通りの(優等生としての)ロールはできなくて結局怒られていたあの日々。あの5年間は、控えめに言って地獄だった。

もちろん楽しかった思い出も中にはあったはず。でも、思い出されるのは、「公平・公正」の欄を司る事など許されないように思える担任や、つまらない授業、軽犯罪を自慢するクラスメイト、意味をなさない校則など、本当にくだらなくてつまらないことばかりだ。教育者に理不尽な理由で逆ギレもされたし、頭も殴られたし、女だからという理由でも運動ができないからという理由でもバカにされた。女として・人間として生まれたことを呪い、そういうことを跳ね返すために、どんどん性格が悪くなり、対偶をとるようになり、自分を可愛がってしまうことを幼い私には止めることはできなかった。もちろん今ならもっと広い視野で、彼彼女らと付き合ったり、自信を強く持って生きられたりするのだろう。教育者側の事情もよく理解できるから感謝もできる。単に、あのときは自分が幼かったといえる(……残念ながら、最大限譲歩して、その程度しかコメントできない)。

そうしたトラウマは私を確実に蝕んでいて、倉橋ヨエコの「輪舞曲」の歌詞にあるように、そうしたジュクジュクした気持ちを”自分で晒”して、自分自身を馬鹿にしたり、あるいは真逆にマウンティングしたりしながらしか過去のことを話せない。記憶力が無駄によすぎてしまい、引き出しを開けたら、その時の恨みや呪いが昨日のことのように甦る。滑稽だが、あの時の自分が「可哀想」に思えてしまう。いろんなタイミングも運も縁もなかった。だから苦しかった。今思えば、私が苦しかったように、私に関わった人間もまた、私の傍若無人さに心底苦しんだだろう。お互い様だ。頭では理解できても、心は一生理解しない。あの当時の話を話せば今もぼろぼろ人目構わず泣いてしまうほどに。

あのときいつも思っていたことを克明に思い出す。
”誰か自分を殺してほしい”。
そして先日、飲み会で突然涙が溢れ、電車でも号泣しながら、こころに決めたことがある。

私は私の過去を私の手で殺そう。どうあがいたって「いい思い出」にはできないなら、傷口が開く一方なら、もう、二度と思い出すのはやめよう。「おもしろいほうが、おもしろい」世界に、こんな腐った感情を持ち込んで、いいことなんかひとつもない。人や自分を恨んで呪って、なにも得することはない。

このnoteが、私の最後の「暗い過去の話」になるように。もう過去を恨んで呪ってしまわないように。未来で笑っている私や、今楽しい私を話せるように。日々精進しよう。

さようなら、過去の私。
今楽しい自分を感謝しながら生きていこうな。

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