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ハラスメント・ハラスメント

harassment(名:ha・ráss・ment)
悩ますこと、いやがらせ、悩み(のたね)
出典:https://ejje.weblio.jp/content/harassment

セクハラ、パワハラ、アルハラ、エトセトラエトセトラ。この世にはありとあらゆるハラスメントがあって、まあ、よくない。よくないが、そもそも「ハラスメント」は何で起こるのか?ということに立ち返ると、基本的には「固定観念」とか「環境の違い」、強い言葉でいえば「認知の差」とかそういうところに落ち着く気がしている。

そもそも犯罪になるようなものに関しては論外だとして、たとえば料理ができる人に対して「いい奥さんになるね」とか、スパッと決断した上司に対して「男らしいね」みたいなことを発言するとか。育ってきた環境の中で「奥さん」とか「男」をそう定義されてきたから褒め言葉となり得てしまう(実際、褒め言葉として受け取る人も多いのだろう)。許せるかどうかはさておき、そうした発言をする人たちが「なんで怒ってるのかわからない」という理由も、まあ、わかる。それが当たり前だったんだもんね。生まれ育った環境を、多くの人は選べない。

じゃあ想像力を養い、バイアスをはらって(そうしたものが複数あるということを認めて)人間として評価しましょうとなったときに、想像しうる限り中立な言葉を選んで褒めても、ある人にとってハラスメントになる可能性を0にすることはできない。
もちろん理想としては、その人向けのコミュニケーションというのをとっていくべきだ。が、すべての人のことを密に知れるわけでもなし、「おそらく多くの人は快と思うこと」もしくは「不快に思うかも知れないことへの予防線をはること」でコミュニケーションを簡略化していくことはままある。統計的データがあるわけではないけど、"一般的に"人は感謝されて悪い気はしない。だから、とりあえず感謝する。"一般的に"人は気を遣われて悪い気もしない。だから、とりあえず恐縮する。それ自体が悪いこととは思えない。

では、相手を慮る想像力を得たとして、その次に必要なのは何かというと、「"一般的に"はよいことだが、自分はこれが不快である」と自らの感情について主張する力なのではないかと思う。「それについては自分に当てはまらないので、今後は言わないでほしい」という主張。この主張を怠って苦しんでいることを、わたしは筋違いであると思う。言葉にしなければわからないことがたくさんあるからだ。
もちろん需要側も想像力豊かだから、そうした主張もすんなりと受け入れられるし、もちろん何かを主張することは失礼にはあたらない。例外を認めていける。ああ、なんて幸せな世界だろう!

……まあ(あえて語る必要もないが)、問題なのは、多くの人間がその想像力を持っていないことだし、主張を曲解することだし、自分と異なる認知を受け入れる度量がないことであるのだが。せめてわたしだけでも、なけなしの想像力となけなしの主張力を鍛えていきたい。それを求める誰かのために。

(Photo by Joel Filipe on Unsplash

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