見出し画像

澤村・スペンサー・英梨々のように生きられない

画像1

澤村・スペンサー・英梨々の死から一年が経った。

一年前、劇場を後にして、この先この感情は永遠に心のどこかに残り続けるだろうな、とかなんとなく思っていたけれど、

結局そんな永遠も半ばを過ぎて、

今では何とも言えない空虚感が残り続けるのみです。


そもそも、澤村・スペンサー・英梨々の失恋がなぜこんなにも悲しいのか?

なぜあんなにも悔しかったのか?

理由は簡単で、澤村・スペンサー・英梨々の人生を見てきたからですよね。

でも正確には少し違っていて、本当は

『澤村・スペンサー・英梨々の人生を見て、なんとなく自分も人生をやっている気分になっていた』

というのが正しいですね。

自分じゃ何にも頑張れないから、澤村・スペンサー・英梨々に頑張ってほしかった。

努力が報われてほしかった。

まぁ要するに、自分がしてたのは感情移入じゃなくて、都合よく自己投影してただけ、っていうそれだけの話なんですけどね。本当に頑張るべきなのは自分だったのに。

だからこそ、最後に報われなかったことが悲しかった。



でもまぁここまではいいんですよ。

ラブコメには悲しくも勝者と敗者が居ますからね。

他のヒロインにだって人生はあるわけですし。

だけどさぁ…

あんな結末でめちゃくちゃ辛いはずなのに、どうして笑顔で終われるんだ。
どうしてまだ頑張れるんだ。

そういう自分には無いものを見せられて、どんどん置いて行かれた気持ちになりましたね。

あぁ、俺には無理だ、もう頑張れない、って。
結局最後に残った感情はそれだけでしたね。

澤村・スペンサー・英梨々のようには生きられないなぁ、と。



この一年の間に大学院を卒業して就職をしましたが、澤村・スペンサー・英梨々のフィギュアは未だに引っ越しの段ボールから出せずにいます。




これからもなんとなく人生をやって、

劇場からの帰り道で感じた悔しさとか、澤村・スペンサー・英梨々の存在も、いつかは忘れてしまうのでしょうか。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?