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言葉は伝わればいい

こんばんは!ともきです!

先日人と話していて、初めて横文字をたくさん使うひとに会いました!

半分くらい意味がわからなかったですが、話ができたのが個人的にはツボですw

思ったのですが、僕は意味がわからない言葉を無視して意味がわかる単語だけに反応して言っただけです。

そうしたら、会話が繋がってしまいました。。

「あれ、意味ないな」

と思いました。

要は僕がわかる範囲で反応した言葉が要点で他のいらん言葉が飾りだったからです。(相手の言いたいことは別にあって僕が汲みとれなかった可能性もあります笑)

もし僕が汲みとれないとしても、それはそれで構わないです。

て言うか初めから終わりまで、僕に文句ひとつ言ってこない時点で可能性の問題になってしまいます。

ガリガリ君の外れぼうを見ながら横の買ったら当たったなぁ。。と黄昏るようなものです。

つまり、開けてみないとわからないものをあれこれ考えるだけ無駄です。

わからない人はシュレディンガーの猫で検索かけてください。

本筋に戻ります。

言葉とは伝わればそれでいいのです。

孔子と言う人の論語にも「辞は達するのみ」と書いてあります。

わかりやすく言うと、言葉は伝わればいいんだよって意味です。

無意味系、横文字系の人は時間と言葉の無駄遣いをしているにすぎないのです。

言葉を完璧ではいけない

しかし、上述した通り無駄な言葉を削ぎ落として一言二言で意思伝達をしていたら人間の存在価値がなくなります。

要はコンピューターと同じなのです。

少なくとも日本には50個の文字を組み合わせて作るアルゴリズムが存在します。

しかし、無駄を省くと0と1しか使わないコンピューターとなんら変わらないのです。

なんで、付属の言葉が必要なのでしょうか?

大前提、人間には感情という概念があります。

なので、無駄なことを最善手ではない決断をするのはこの感情が大きい割合をしめていると思います。

その感情を飾るために無駄な言葉を付け加えるべきなのです。

例えば、「ご飯を食べた」と報告したとしましょう。

一番無駄のない形がこの形だと思います。

しかし、これでは感情は動きません。

ではプラスで、「行列ができているお店でご飯を食べた」とします。

これでようやく凄そう的な微々たる感情が目覚めます。

あと、「ヒルナンデスで紹介されていた、銀座にあるめちゃくちゃ行列ができているお店でご飯を食べた」とくっつけてみました。

これでやっと美味しそうとかどんな味だったなどの感情が舞い込みます。

これはめちゃくちゃ極端でこんなんじゃ感情なんて動かないという人もたくさんいると思います。

僕が言いたいのは飾りをつけることで本質的な部分に様々な情景を見せることができるということです。

そこを考えるとやはり大切なことだと思います。

最後に

僕は横文字は自分を飾っているのだと思います。

本当は自分の喋っている言葉を飾り付けなくてはいけないのに、言葉ではなく自分自身を飾り付けてるように見えました。

要は大学生とかが大学でよくつけている勉強に必要ないネックレスや指はと同等のものです。

なので、会話は通じたのだと思います。

一番たちが悪いのは主語や述語を横文字にしてくる人です。

その人たちはまじで会話が通じないので、この世から滅んでほしいです。

今回はこんな感じです。

参考になればなぁと思います!

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