映画『タリナイ』を観て。

 毎年、夏になると終戦記念日に合わせて、戦争特番が多く放送され、戦争ということを嫌でも思い出される時期である。
どこか、戦争の話題が毎年恒例のようで、ある種イベントでもあるかのように慣れている自分がいる。 なにかもう、戦争を理解したつもりでいる。

さっぱり、わかってもないくせに。


そんな、わかったつもりでいる自分に、当時そんなこともあったんだと、今頃になって教えてくれる番組や映画もあったりする。

その中の、一つが今回観た映画『タリナイ』であった。


父の戦死した、マーシャル諸島を息子が訪れるという映画。
そんな前知識だけで、ドキュメンタリー好きの自分は映画館に足を運んだ。
戦死した父は、戦争で死んだものも、戦闘で死んだのではなく、餓死で最後は死んでいった事実が重く自分の中に突き刺さった。


戦時中、餓死で死んだ人のことは、知ってはいた。


餓死で死ぬということに対して、50歳を目の前に迎える年齢になる自分は、若い時の自分と明らかに、受け止めかたが全然違っていた。
自分でも驚いたが今の自分の心の深くまでその事実が突き刺さってきた。
突き刺さってきた要因の一つには佐藤さんの父が残した日記の文があったからだ。
映画の冒頭から、残る力を振り絞って書いた日記の最後に記された日本の家族に向けた遺書として紹介された文章を息子の勉さんが涙ながらに読む姿は、冷静には見れなかった。
俺が死んだらこの日記を家族に届けてくれと言われ、約束を果たし日記を届けた戦友の原田さんにも熱くなった。                 そもそも、この日記が届けていなければ、この映画はなかったのだ。
戦争での死にかた、いや、人間の死にかたで餓死で死ぬということは、想像を絶する生き地獄の中で苦しんで死ぬ、最悪の死にかただと、映画を見ながら思い、想像するだけで涙が落ちていた。 


実際の戦争後半では、マーシャル諸島ではなく、違う戦地でもそういったことが起こっていたと聞いたことがある、そんな事を考えると、また心が痛くなった。

今の便利な社会になった現在でも、飛行機を何度も乗り繋がないといけない場所、なんであんな遠い場所まで日本人は行かなければならなかったか? 日本は世界征服でもしたかったのか、欲望がそこまでさせてしまったのか?


戦争はもうやってはいけないなんてことは当たり前のことだが、今でも、似たようなことが起きている、それは、人間の欲望という根底の理由は変わっていない。 


全ての根源は人間だと思う。 

それは、いい人間と悪い人間がいるからこれからも起るだろう。 
悪い人間にならないようにと心に刻んで、この今の時代を生きていきたいと切に思わせてくれた映画でした。

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