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2023年、ありがとうございました

 今年も残すところ数日となりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
 わたしは非正規雇用賃金労働の仕事納めが12月31日、仕事始めが1月2日のため、お正月気分というものが薄く、いつもと少し異なる人の流れの中でほぼいつも通りに働いています。

 2023年も戯曲を翻訳する機会に恵まれ、改訂を含めると三作品が上演されました。『火の顔/アンティゴネ』『未婚の女』に足を運んでくださった皆さま、頭の隅においてくださった皆さま、誠にありがとうございました。こうして翻訳を続けられているのは、家族、友人知人、観にきてくださる皆さま、職場の方たちのご支援があってのことです。ロビーで話しかけてくださったり、SNSに投稿してくださるお客さまのご感想、ご意見、いつもとても興味深く嬉しく受け取っております。ありがとうございます。これからもたくさん考えてたくさん語ってください。


『火の顔/アンティゴネ』フライヤー


『未婚の女』フライヤー


 コロナ禍規制真っ最中の2021年4月に拙訳初演版『火の顔』が上演され、満場のお客様をお迎えできていなければ、今年の三作品も存在しなかっただろうと想像します。あれからもう三年経ったのですね。ガラッと変わった日常の影響か、時間が圧縮されたような感覚さえあります。芸術活動の規制は緩和されたものの、当然根絶されたわけではなく、インフルエンザと共に気をつけなければならない病気が増えたということなのでしょう。わたしも先日、5回目のワクチンを接種してきました。
 ドイツ演劇新3部作『オルレアンの少女』『アンティゴネ』『未婚の女』では、皆さまと一緒に〈戦争〉と〈女性〉の関係を考えてきましたが、今この時にも日本で世界じゅうで暴力と虐殺が起こり続けています。『アンティゴネ』の頃、なぜアラートが頻発したのか。今はどうだろうか。日本の権力機関が虐殺を始めようとした時、始めた時、わたし達はどうするべきなのか。
 わたしはよく、自分が難民になることを想像します。島国である日本から逃げ出すのは極めて難しい。かなり早い段階で決断しなければ、脱出するための航空券を手に入れられず、権力者によって「虐殺させられる側」か「虐殺される側」になる可能性が非常に高い。わたしは暴力や虐殺に加担したくない。ウクライナとロシア、ガザとイスラエル、スーダン、日本……わたしは世界で起こる人権侵害に反対する。であるが故に、自分が今、誰かの人権を侵していないか、顧みる。さまざまな形で発露される暴力、わたしが加害者になる可能性を常に念頭に置く。まずは自分のことから。


 さて、翻訳の話に戻ります。
 自分自身が初めて体験したドイツ語のストレートプレイである『火の顔』の拙訳再演を含む2023年の三作品で、第十六回小田島雄志・翻訳戯曲賞をいただくことになりました。とてもとてもありがたく喜ばしいのですが、例えば自分でそれが欲しくて努力した大学受験や資格試験に合格したのと違い、青天の霹靂、寝耳に水、棚からぼたもち、ともかく驚きが先行しており、「周囲の人たちがたくさん喜んで誉めてくださるからわたしも嬉しい!」というのが実感です。
 そして、ぜひ知っていただきたいのですが、2009年第二回の同賞受賞作の一つが新野守広訳の『火の顔』なのです。私自身も出版されている同翻訳書は学部生の頃に読んでいますし、日本での上演を調べた際に賞のページも目にしていた筈でそのことを知らないわけがありません。なのにすっかり忘れていたようで、今回改めて確認し、二度目の驚きでございました。これこそが翻訳演劇の楽しいところ。15年後くらいに新しい翻訳の『火の顔』が生まれたら嬉しいです。『アンティゴネ』はソフォクレスからのブレヒトなのできっと遠くない将来にどなたかが新訳し、その時々の課題を作品に反映させて上演するでしょう。解きほぐすのが大変だった『未婚の女』も、いつかどなたかが、もっともっと広げてくださると嬉しいです。日本経済の衰退、円安の影響もあり、気軽に渡航を勧められない昨今ではありますが、ドイツ語圏の演劇に興味を持ってくださる方が一人でも増えますように。


 最後に。
 翻訳やドラマトゥルクが中心にある期間は、わたしはたくさんのことを考え、ニュースを追うことができます。フルタイム賃金労働が中心の期間は、世界で起こっていることへの興味が薄れ、溢れる酷薄な情報を制限したくなり、思考の幅が狭くなってゆきます。考える時間を得るためには働かなければならないし、働いている間はそれに疲れてしまって、考える時間が減る。稽古へ向かう電車の中では世界の情勢を追えるのに、賃金労働へ向かう電車の中ではせいぜい本を読む程度で、帰りの電車の中ではSNSを漫然と眺めることしかできない。一方、労働の現場は世界情勢と深く関わっており、原材料費等の高騰の背景、日本へ避難してきた方々との会話、変化する観光客のルーツや購買行動などから、実地で学ぶことも多くあります。わたしが演劇に求めるのは、その間だけでも「上演を媒介として安心して思考できる場所と時間」。これからもそのための戯曲を翻訳し続けられるように、健康に気をつけて来年を生きます。
 皆さまとまた、劇場でお会いできますように。たくさん戯曲翻訳のお仕事が入りますように。2024年はまず春ごろの予定です。お待ちしております。

大川 珠季

ドイツで観られるお芝居の本数が増えたり、資料を購入し易くなったり、作業をしに行くカフェでコーヒーをお代わりできたりします!