サロメ
聖書という大ベストセラー本をご存知だろうか?
キリスト教、ユダヤ教で正典であり、イスラム教でも教典である書物である。
この聖書のマルコによる福音書第6章14節から29節、ルカによる福音書9章7節から9節に出てくる、ヘロデアの娘サロメがいる。
サロメはヘロデ王とヘロデアの娘である。
ヘロデアは元々ヘロデ王の兄弟の妻であったが、ヘロデ王に娶られる。
その際、洗礼者ヨハネが、その結婚が立法に反している事を指摘したため、ヘロデアに恨まれ投獄されてしまう。しかし、ヘロデ王は洗礼者ヨハネを聖なる人と恐れていたため、殺さずにいた。
その間ヘロデアはいつかヨハネを殺してやろうと考えていた。
そして、ある宴でヘロデアの娘サロメが踊りを披露する。それがとても美しかったため、ヘロデ王は「なんでも褒美をやろう」と言った。
そしてサロメは、母に唆されて、ヨハネの首を王にねだりそれを手にした。
聖書や、神話は多くの絵画の画題となる。其れなりの知識があれば、絵画を楽しく見る事ができるだろう。
サロメは魔性の女、ファム・ファタール(Femme fatale)の象徴として多くの画家が描いてきた。
ファム・ファタールの象徴としては他にも人魚やスフィンクスなども描かれている。
少し前の映画にはなるが、『パプリカ』にも魔性の女の象徴としてスフィンクスの絵が出てくる。
映画に出てくる絵はこのギュスターヴ・モロー作『オイディプスとスフィンクス』やドミニク・アングルの『スフィンクスの謎を解くオイディプス』などである。
スフィンクスはギリシャ神話やエジプト神話などに登場する生物である。しかし、人々の解釈によって段々と魔性の女の象徴になっていった。
私はこの話がとても好きで、サロメといい、スフィンクスといい、元々の話の意味とは全く違う解釈を加えられることで、一つの魔性の女を象徴になっている。
なぜ、魔性の女なのか?男性優位な社会で、女性というのは軽んじられていたにも関わらず、いつでも男性が恐れるものは「強く・美しく・恐ろしい、女性」だと感じる。
其れはなぜであるか。
やはり人間も野生である。まるで理性によって完全に自信を支配しているように装っているが、そんな事ができてはいない。そんな見せかけの理性武装を崩壊されることが、恐ろしいのではないか?
長い時代にわたって、禁欲というものが大事にされてきた。今でも、欲を出すことは悪いものであるというふうな風潮がある。その欲を出させる物を恐れるのは仕方のないことだ。
そんな古くから愛された題材の一つを描いてみた。
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