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嘘としての自画像

なぜ我々は自画像を描くのか?

『坊主として自画像』というのはゴッホの自画像である。日本の坊主頭に影響を受けたという説もある。同居者であったゴーギャンに贈った一枚の絵である。

自画像というには整い過ぎている自画像。今の時代では美しいことは絶対条件である。コンテンツを見ても多くは美しく整っていて、雑然としているようなものは少ない。

こんなに美しいものばかりだと、まるで自分だけが美しくなくて、周り全てが美しいのだと誤解してしまう。しかしそれは完全なる誤解なのだ。

世界はいくつかの視点による美しさがあって、視点が一つに固まってしまうことで美しさに偏りができて、美しく無いという誤解が生まれる。ある視点からでは美しく見えないものにも本質が宿ることもある。

しかしそれと同時に、自分の目というのは一つの視点からしか見られないという事実もある。これがいつでも大きな問題となってしまうのだ。

『嘘としての自画像』

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