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【ココロの旅#42 】「ラ-磊磊落落(ライライラクラク)」-ワタクシの人生「イロハ帳」

 こんにちは、朝晩の涼しさに少しの寂しさを覚える今日この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしですか。運動会シーズンも始まり、近所の小学校から元気なこども達の声が聞こえてきます。元気を貰うとともに、運動不足気味の我が身を振り返り、ちょっと反省...

磊磊落落
~こんな四文字熟語初めて見ます①~

1)一般的意味:

📖心が大きく、些細ささいなことにこだわらないさま。小事にこだわらず、さっぱりしている意の「磊落」のそれぞれの語を重ねて、意味を強調した語。

🐐「磊磊落落」このビジュアル&サウンドのパワー(笑)、なんか凄くないですか。石がゴロゴロ(磊)落ちて場が広く感じることが語源とか。
気持ちが沈んだときのおまじないの言葉になりそうですね。
ライライラクラク♪

2)ワタクシの旅:

👨‍🦲尊敬する師

自分自身が(体格ではなくヒトとして)"ちっせー"せいか、磊落な人々には、ホント、心から憧れと尊敬の念を抱きます。
これまでの人生で、最も磊落な方だと思うのは某仏教の師です。
師は世間的にも高名でありながら、智慧と実践の方そのものであり、自然と尊敬の念を抱かせる魅力とオーラをお持ちなのですが、ワタクシ自身が最も敬服したのは、実は、師の磊落さでした。

兎に角、「全てOK!」と"全て"を受容なさる。例えば、オンライン講話会で聴講者からの「アンチか?」というようなリプも、(ワタクシを含めた?)圧倒的多数の善男善女が「は?」と思うようなコメントも、(むしろ)大事になさり、「ほー、なるほど、なるほど。そういう捉え方もありますねぇ。新たな気づきを得ました。善哉。」とおっしゃる。

確かに、修行を積めば人間は「大きく・寛大に」なるのでしょうが、師は、何かがチョット違う。ワタクシ自身は特に信徒でもないので、宗教的価値観から師を崇めることはまずなく、純粋にその人となりを尊敬しているのですが。
師の著作や記事を読むと、磊落どころか、細部にまで目を向けた思索をなさっている様子が窺え、また、それを非常に丁寧にご自身の言葉で表現なさっていることに気づくのですが、師の磊落さには長年にわたりご自身が積み上げていらした様々な「石(人生経験、智慧、実践)」があったのだと、この「磊磊落落」の言葉に出会って、そう思い至りました。
輝石・奇石も、それらが全て落ちた状態、そして広い世界へ出るということが、まさに師の「全てOK!」に表されているのではないかと、浅学ながら思いました。

🐐この文章を綴っていたら、丁度、講話会のお知らせが届きました。
シンクロニシティ✨

🤷‍♀️「石」を積んで落として

では、凡人のワタクシはどうすれば憧れの磊落さを持てるのか。
その為には、まずは、「石」を積むことが先決ですが、その「石」、

・人生経験=日々の積み重ね:ボーっと生きてんじゃねーよ!
・智慧=真理と謙虚さと:ユリイカ!
・実践=行動あるのみ:JUST DO IT!

これらを積んで積んで積んで、そして、一気に落とす⚡
相当厳しそうです・・・今生中に達成できるのかどうか・・・

人生経験と智慧は、周りの皆さまのおかげで(このブログも含め)、ホンマに少しずつではありますが、積み重ねています...よ?(あまり自信ない)
実践はできているのか、いないのか(そんなこと言ってる間にやる!)。

🐐・・・精進いたしますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。

3)おまけ:

ギリシャ神話の【シーシュポスの岩】は、罪を犯して神々を激怒させたシーシュポス(人名)が、罰として巨大な岩(石の親分)を山頂まで上げるよう命じられ、彼があと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返されるーというお話です。
積み上げる前に強制的に落ちてしまう...しかも永遠に...
シーシュポスは自業自得とはいえ、その姿に、ここ数年の自分を重ねてしまい、いつもは「面白くて為になるギリシャ神話」なのに、ふと、切ない気持ちになりました。

<今日の美>

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