【観じて想う#019】新しい葡萄酒は新しい革袋に
先日、散歩中に近くの教会そばで表題の聖書の一節を目にしました。
自然も人も「始まり」の準備をする3月、折しも啓蟄を過ぎた頃、私自身の心境を投影したかのようなフレーズに、改めて「これから」について思いを馳せながら散歩を続けました。
今年に入ってからのこの数か月、周囲の環境も、自然も、そして私自身も、その中心の目に見えないところで、エネルギーを湛えた何かが静かに静かに動き始めているように感じます、まさに蟄が啓くかごとく。
「何かの始まり」の前触れなのだろうと思うのですが、肝心な『何か』がぼんやりとして見えないのです。
自身に起きた現実の出来事をつらつらと思い返し「点」を描いてみるのですが、分かるような分からないような。
いや、かなり分かっているのですが、まだまだ様子見している状態、慎重というか臆病というか、単にものぐさなのか(苦笑)。
そんな中で、目に入った聖書の一節ー
この「何か」の動きは、実は、「新しい葡萄酒」が革袋の中で発酵している状態であって、私は早々に新しい革袋にならなければ自身が破れてしまうということですね、確かに。
ただ、これまでの私のように、ここで欲をかいてジタバタ動くとアウト(場外へ出てしまう)という確信だけはあるので、自然に心地良い方へ身を任せることにします。
<今日の美>
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