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【ココロの旅#60】「ユ-赦し/赦す」-ワタクシの人生「イロハ帳」

 こんにちは、今日から師走、今年もあとひと月になりましたが、皆さん風邪などひいていませんか。日中の日差しに惑わされず(?)、首を温めることは防寒の基本だそうですから、外出時にはストールやマフラーなどを一枚お持ちくださいね。

~今年のワタクシの「言葉」①~
この一年締めくくりに

1)一般的意味:

📖罪や失敗などを責めないこと。刑罰・義務・税を免除すること。
なお、「許し/許す」は受け入れ認めること、許可することですので、「赦し/赦す」とは「罪」が介在するか否かで異なります。

🐐「ゆるす」はいずれも「緩(ゆる)む」から来ている語だそうです。
師走が始まったばかりですが、この言葉こそ、ワタクシのこの一年を象徴するもの。一足先に今年の総括をいたします...

2)ワタクシの旅:

🎭罪や失敗などを責めないこと

物心ついた頃から(笑)、罪(というか不運かな)や失敗をこれでもかと言わんばかりに、自身に責めを負わせることで昇華(消火?)させてきたワタクシ。
とにかく、”シンドイ”・”キツイ”がデフォルト、ヒトとしての生きるというのは苦行なのだと思うほどでした。
無論、楽しい時もそれなりに(笑)あったのですが、光の中に影を見るというのか、100%キラキラというよりも、光源にある"暗さ"をつい探してしまう性分だった。
これを世間では「ひねくれもの」と呼ぶのでしょうけれど、キラキラをそのまま掌に載せて屈託なく日々を過ごす周囲の人々を見ては、むしろ、絶賛苦行中の自分の方が「エライ!」と更に行に邁進…
子供の時に、最も傷ついた言葉は「素直じゃない、可愛げがない」だったのですが、ある意味これらは苦行僧にとっては勲章だったともいえます(苦笑)

が、2020年春からは、何か憑き物が落ちたように、あまり自分を責めなくなりました。
この時期は、世間におけるこれまでの常識や当たり前なるものが次々と崩されてきた時期でもありますが、それに紛れて、自身の「"シンドイ""キツイ"=美徳」の概念をしれっと手放しました。というか、結果的に手放さずを得なくなったのでした。

だって、
・人間関係で悩もうにも、必要最低限の人にしか会わない日常が普通になる。
・長時間労働をしようにも、自宅待機&プライベートの時間が増える。
・プロジェクトを進めようとしても、世間の活動は止まっている。
・会議やイベントで一矢報いようとしても、ことごとくキャンセルやオンラインベースになり、ついでにリアルな付き合いからくる面倒臭さ(例:無意味な雑談、腹の探り合い)もなくなる。

・・・で、これまで、一人で必死に抱え込んでいた「罪(=不運)」「失敗」など、もう何物でもないし、誰も覚えちゃいないし、登場させる舞台ももうない。ただ、ワタクシがひつこく抱えてただけなんだ...と。
あの、ゴリゴリ固まった固定概念が波にさらわれるように、彼方へ、そしてフェードアウト・・・(もう戻って来ないでいただきたい)👋

🐐その「罪」やら「失敗」はこのブログの契機にもなりましたから、人生には無駄はないと思いますが...でも、もっと軽やかに生きてきたかったなぁ。

🗿義務を免除すること

「~すべき」「~しなければ」「~することになっている」
ーこれらが、ある意味、これまでのワタクシの生き甲斐でした。
人生の日々のイグニッションキーとでもいうのか、楽しみですら、義務的に行っていたこともあったかもしれません。
ですので、義務を果たす自分自身は、至極まともで、自立した一個人だと信じて疑わなかったのですね。
けれど、それは生き甲斐どころか、相当心身に負担をかけていたのだと思います。それを証拠に、いつもカリカリと焦燥感にかられていましたし、他者の言葉をニュートラルに受け取れずコミュニケーション不全を起こす、そして、最も顕著な例は酒量でした。アル中になるほどの量ではありませんでしたが、飲み方がヤサグレそのもので、当時の自分を思い返せば哀れな感じがします、我が事ながら(笑)。

が、2020年からは、義務も果たさなくなりました(あ、ちゃんと税金は納めています!)、というか、自分の行動から義務感を取り除いたのですね(「すべき」「しなければ」⇒シンプルに「する」だけ)。
そして、しなければならなくても、したくなければ、しない(笑)。
または、先送りして義務が消滅するのを待つか、しなくて済む方法を編み出す。

・・・こんなことができるのも年の功かとも思うのですけれど、意外とこの世の中って親切で、ワタクシが義務を怠っても、それは不必要な事柄だったり、他の誰かが”知らぬ間に”やってくれたりと、丸く収まるようになっている・・・(ありがたや)🙏

🐐義務に没頭していることの最たるデメリットって、それを他者に押し付けることなんですよね。己に課し、他者に課し、またそれが己に返ってきて、またまたし返すという、この悲しい無限ループ(笑)…やめましょう。

🎈『旅』と「赦し」

ここまで自身の暗~い一面を書いてきて、ふと、「じゃあ、これまでのワタクシの『旅』は自らに課した苦行や義務だったのか?」と奇妙な問いが生まれました。
答えは、『旅』は(あくまでもワタクシの中では)、なんというか、全てのものを突き抜けた場所に存在するものであり(要は表現し難い)。
実際、『旅』している時の自分は、いわゆる『旅人』であって、自分ではないというのか(何を言っているのだか)。

じゃあ、『旅』は「赦し」かというと、うーん、違うような...
解放・息抜き、日常生活の疲れを癒しに旅に出るというよりも、もっと原始的な欲求でして(笑)。
「とにかく、行く」

ここら辺のところは、次の『旅』でじっくり考えてみたいと思います。

🐐ですので、ほとんど旅日記を付けておらず、写真の整理もきちんとしていません...旅のブロガーさんなど、驚異です。

3)おまけ:

ワタクシ自身は信者ではありませんが、聖書にこのような言葉があるそうです。

「ゆるして自由になりなさい」

詳細をお知りになりたい方はこちらをご参照ください。
明快且つ心に沁みる文章です。


<今日の美>

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