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【素的視点から#026】生命のミナモト②

前回のブログに引き続き。
水道水から多様性と個性の時代を連想するとは、相変わらず”思考先行”癖が抜けないなぁ、と我ながら苦笑してしまいます…

が、多様性も個性も、もはや理屈ではなく、今まさに水の如く、この世に浸透しつつあるもの。

水といえば、皆さんよくご存知の『上善水の如し』という言葉もありますが、これは水の有り様そのものが道であることを表現したものですね。

ー万物の源でありながら、決して主張せず争わず下に控えている

しかも、その清らかさで穢れを雪ぎ、熱すれば気体となり自然に還ることを教えてくれる存在ー

この言葉は老子によるものですが、私が高校時代に老子を学んだ時には、教科書(と教師)による老子の評価は高くなく、なんというのか、“向学心に燃え血気盛んな青少年”向けのものではない、といった雰囲気でした。

特に団塊ジュニア世代の私達は、もう生まれ落ちた時から他者との競争競争に明け暮れる運命、老子の教えは、当時の教育界にとっては生温く歯痒いものに見えたのでしょうね。
人生そんなに”綺麗事”ばかりじゃない、と。

その後、日本の国力(?)が停滞するにつれ、老子の思想に共鳴する人々が増えたように思いますし、今でも時折、ベストセラー書籍に関連本などを見かけることがあります。

少々飛躍になるかもしれませんが、“綺麗事”は、やはり”美しいもの”なのだなぁと思います。
これは揶揄ではなく、誰もが心の奥底に持つ美しいものへの普遍的な憧れということではないか。

特定の思想に拠らなくても、ヒトの80%は水から成るとのこと。
身体は無論のこと、精神も水を求めるのは自然の摂理なのだと、改めて気づきました。

<今日の美>

こちらもイイですね♪

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