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【ココロの旅#99】"五里霧中"-素的視点から

こんにちは、この【ココロの旅】も次回で#100!確か昨年の5月頭に書き始めたように思いますが、あれから一年近く経ったのですねぇ...

●ブルーベルの森、霧深い森

カバー写真はブルーベル。地元の公園(関西地方)に咲いていたものなのですが、名前の通り小ぶりのベル(鐘)の愛らしい音色が聞こえてきそうなお花、とても心惹かれます。
しばしば通る公園だったのですが、まさか、憧れのブルーベルが咲いているとは、と驚き嬉しくなりました。
・・・ただ、いつも心にある、あの、英国式:イングリッシュブルーベルと違って、日差しの下、そばでは子供達が野球に興じているような環境ではありましたが。

私の心にある、あのイングリッシュブルーベルは、森深く霧で覆われた中に浮かび上がるように一面に咲くものなのですが、一度は直にこの目で見たい...来春には出かけられそうかな。

ブルーベルのお花自体が好きなのも勿論なのですが、あの森、もっと言うと、「霧」というものに幼い頃から心惹かれるものがありました。

童話や物語、映画や小説で、幻想的な場面や緊迫した状況などでお目にかかることが多い霧ですが、実際の日常生活で霧が発生すると、自動車や公共交通機関への物理的な影響(場合によっては被害)が出るのは、皆さんご存じ、或いはご経験の通り。

ベールのように事物を覆い、
人の目や感覚・思考をくらませ、
取り除こうにも掴むことは叶わず、
自ずと消えるのを待つしかない
闇とは違い薄らぼんやりと見えるだけに心がかき乱される

はて、はて、一体何なんでしょうか?

●素的視点から

掲題の「五里霧中」なる言葉もありますが、これは、まさに上述の霧の生態(?)を巧みに扱った古代中国の人物の逸話から来ているとのこと。
一帯に霧を発生させて前後左右を見えなくさせ、迷わせる。そんな術・霧にどうしたものかとウロウロ悶々とする人の姿が浮かびますね。

私もこの術を手に入れたい(笑)!人命や人身に影響のない範囲で術を使うとして。

それはさておき、「五里霧中」の標準的な意味「見込みが立たないこと、手探り状態にあること」を改めて眺めると、時折我々が霧の中で迷うからこそ、人生というか日々の経験に意味があるのだろうな、とも思いませんか。

人生というか、世界というか、我々の全てが「360°視界良好!」であったら

・・・Happy Lucky Go, Go, Go!な日々?

・・・「生きている」実感?

・・・どうでしょう?

方向や先が見えないからこそ、「見よう」「見つけよう」とするための感覚や精神が備わり、それらを包む身体があります。

我々が全身で、日々霧の中で手探りすること、それが即ち生きるということなのだろうと、何だかそんなことを思いました。

そんな霧に似合うブルーベルの花言葉は「謙虚、変わらぬ心」だそうで、手探りを続けるもしょっちゅう躓く、癇癪持ち&移り気な己に最も必要なものでもありました…

<今日の美>

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