10/25 大人の経験値を積まずにいる

昨日の続きの話。
正直なところ、自分が死んだ後のことは、乱暴な言い方をすれば、『どうでもいい』。まわりの人たちには、わたしが死んでしまった直後にも何事もなかったかのように日常を送ってほしい。とはいえ、なかなかそんなふうにはいかないだろうから、できるだけ、大切な人たちに迷惑がかからないように死にたい。なんなら、わたしの体や、わたしにしか関係のない物たちは、その瞬間がきたらすべて煙のように漂ってふっと消えてしまえばよいのに、とさえ思う。人ひとり死ぬって、なんやかんや、オオゴトだね。
例えば、仮に、億が一の仮に、旦那さんがここ一週間の間とかで急に死んでしまったら。そういう想像をしようとしても感情面は、脳みそなのか何なのか、よくわからないものが思考を拒否するので掘り下がらない(掘り下がっちゃったら、どう考えても精神的にまずい方向にいってしまうので、よく制御できてるというべきか)。ので、気持ちの面は置いておいて。実務的な面で、わたしは、何をしなきゃいいのか、全然わからない。最初にその事実を知ったのがわたしだとして、旦那さんの実家に知らせて。それ以上に何をすればいいのか。旦那さんの会社にどうやって知らせればいいのかわからない。友達は、誰に伝えればいいのか。あと銀行とか家の契約とか。想像がつくまででここまでだ。他にもいろんな手続きとかがあるのだと思うけれど、さっぱりだ。
昔、誰か(母だったかしら)が「そういうときは、詳しい人がどこかかしらかやってきて、いつの間にか全部取り仕切ってくれるから、ひとつひとつ聞いてはいはい言ってたら、気がついたらすべて終わってるものよ」って言ってるのを聞いて、そのときは「そういうものか」と思ったのだけれど、それって、かなり、怪しくないか? 大丈夫か? と。冷静に考えたら急に不安になった。何その『詳しい人』。悪い人じゃないだろうな。全然知らない人が突然あらわれるの? 知り合いじゃなくて? どこで聞きつけてくるの? それはそれでまたすごい不安になる。
なんかそういうのも、今はネットで調べればきっとある程度わかるんだろうな、と思うのだけれど、昔の人はどうしてたんだろう? 本とか、近所の大人が教えてくれるとか? 今、自分の身近でそういう何事かが起きたとしても、きちんと対応できる自信がまったくない。年だけはどんどん言い訳のしようのないくらい大人になっていくのに、そういう『世間の一般常識』的なことに対する経験値が積み上がっていかない。今のところ困ってないけど、いつか困るんだろうな、と思っている。ちょっと他人事感ある。自分の世界には当分起きないことだ、とか思っている、多分。

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