「悪役令嬢もの」にもっと乙女ゲーマーは怒っていいという話

先日、とある戦隊パロディ作品が話題になりました。
簡単に言えば、戦隊あるあるをひっくり返して気持ちよくなる作品があったのですが、その「戦隊あるある」の部分がエアプすぎて、戦隊もののファンの神経を逆なでしたという話です。
この作品に限らず、戦隊ものではこの手の作品は定期的に登場しそして槍玉にあげられます。メジャー誌の連載作品でも大失格の烙印を押され、蛇蝎のように嫌われている作品もありますね。
これに対してオタクの狭量さを嗤う声もありますが、該当分野にリスペクトのない描き方をされたら、その周辺の人が怒るというシンプルな話です。
そして、この話題になった時に、類似の例としてよく引き合いに出されるのが悪役令嬢です。

なぜ、露悪戦隊パロは出てくるたびに大騒ぎを起こして、悪役令嬢は広く受け入れられているのか、という議題があります。
自分の感覚からするとこれが許されているように見えるのは単に不満の声が見えないだけで、これがまかり通っているのは、シンプルに数の暴力でしかないと思っています
事実、先日の戦隊ものの話題を皮切りに、悪役令嬢ものに対する不満を挙げる声も見られます。
そもそも、悲しいことに悪役令嬢ものの爆発的な広がりに対抗できるほど乙女ゲームのユーザー人口は多くない(あと、女性オタクの習性として、あまり表に出てこない人が多い)
今更これだけ悪役令嬢ものが溢れかえった世界をひっくり返せるわけもないので、消極的に受け入れている人も多いですが、それでも自分の好きなジャンルを雑語りされること自体は面白くないと感じる人もいるでしょう。

かくいう自分も、乙女ゲームは6本程度遊んだレベルで、決して詳しくはないです。(好きなゲームは悠久のティアブレイド)
それでも、世間で語られる乙女ゲームのあまりの雑語りに唖然とすることは多い。
自分から積極的に声を上げるのも違うと思っていたのですが、それでも「悪役令嬢は許されたのに」みたいな言説を見ると強烈な違和感を覚えます。
なので、浅ゲーマーではありますが、自分なりにこの違和感を言葉にしたうえで、「怒っている人もちゃんといる」という話をしたい思いました。

まず、大前提として実在する乙女ゲームに悪役令嬢は滅多に登場しません。
「いない作品もある」とかそういうレベルではなく「いることの方がほとんどない」です。
(悪役令嬢が実在するゲームとしてほぼ毎回マイネリーベの名前が挙がるが、逆に言えばマイネリーベぐらいしか聞かない)
さらには、乙女ゲームのあるある設定としてなろう小説で取り沙汰される「中世風の魔法学園」という設定すらほとんど見たことがありません。

こういった、存在しない乙女ゲームのテンプレートを前提に、その土台を覆す物語を展開していくのが「悪役令嬢転生もの」というジャンルです。
もちろん、こういった非実在性に対して慎重な作者もいて、自作の小説が題材になっていたり、少女漫画の世界が舞台になっている作品も存在します。
それでも最大派閥が乙女ゲームであることに疑いの余地はないでしょう。
そして、たまたまその作品世界ではそうだっただけという言い訳をよそに「乙女ゲームといえば悪役令嬢」だとか「主人公はお花畑」だとか、存在しない偏見を堂々と語っている作品は枚挙に暇がありません。

なぜ存在しない悪役令嬢という存在がこれほどまでに共通認知として成立しているのかというと、その起源としてはキャンディ・キャンディを始めとした少女漫画のライバル女子にあるという説が濃厚です。
とはいえ、ここでは概念の起源の話には深く立ち入るつもりはありません。
ですが、自分の知っている少女漫画などに登場するライバル女子などをベースに「いてもおかしくはない」という漠然とした連想が、この共同幻想に実態を持たせているのでしょう。
ですが、悪役令嬢というのは乙女ゲームに「たまたまいない」だけではなく、基本的に存在自体相性が悪いために「ほとんどいない」のです

性別を反転させて考えれば当たり前のことだと思いますが、恋愛シミュレーションゲームで相手キャラに特定の婚約者がいるのは基本NGでしょう。
少女漫画や小説などとの最大の違いとして、乙女ゲームには主人公の選択に伴うルート分岐が存在します。
つまり、決まったストーリーが存在し確定で断罪される少女漫画と違って、乙女ゲームの場合には悪役令嬢の勝利パターンも存在してしまうことになります。
BAD ENDでもたらされる悲恋の苦しさ・切なさを楽しむのもまた乙女ゲームの醍醐味のひとつです。
その際にNTR要素が入るのがたとえBADだとしてもかなりの特殊性癖だというのは、ちょっと考えればわかることと思います。

そして、乙女ゲームの目的は当然ですが、恋愛を実現することです。
間違っても断罪ざまぁをすることではありませんし、そもそも目の前で他の女を公開処刑する男を好きになれるかという話もあります。
さらに、乙女ゲーム制作のリソースも無限ではないので、わざわざ悪役令嬢周りにシナリオや立ち絵の工数を使うのが無駄です。
それをするぐらいならメインキャラのCGが1枚でも多い方がいいし、そもそも悪役を出すのであればそんな美味しいポジションを男にしない道理がない。

美少女ゲームでは、同性のライバルキャラや悪役キャラが登場することは少なくないですが、こちらもバトル要素やスポーツ要素のライバルとして登場するだけであって恋愛パートに積極的にNTRを仕掛けてくることも滅多にないため、悪役令嬢という存在の異質さがわかります。

(なお、乙女ゲームも男しかいないわけではなく、同性の友人がいることも多いです。
だいたいの場合主人公のことを理解してくれて恋の応援もしてくれる、芯の通ったむちゃくちゃいい女なので、是非やってみてほしい)

そういうわけで、乙女ゲームに悪役令嬢がいないのは、たまたま乙女ゲーム業界が手を付けていないというだけではなく、存在自体がかなりゲームシステムとの相性の悪さを抱えています。
そのため、悪役令嬢は「間違ったテンプレ」を通り越して「捏造されたテンプレ」となっているのです。
この捏造されたテンプレ乙女ゲームを悪役令嬢という存在しない概念を用いてひっくり返すのが悪役令嬢というジャンルなのです。

では、なぜ人口が少なく正しい知識が広まらないレベルに小さな乙女ゲームという市場がハックされたのか。
先ほども述べた通り、少女漫画の世界であれば悪役令嬢に相当するポジションがいて断罪イベントもあるため、不整合は起こりません。
それなのに、なぜ乙女ゲームが題材として選ばれるのか。
そもそも、戦隊ものやネトゲなど、なぜこういった浅い知識で「存在しない前提」を覆す作品がたびたび登場し、そして人気を集めるのか。
それは結局、よく知らない他人の趣味を小馬鹿にするのは楽しいからではないからでしょうか

悪役令嬢ものは入り口こそファンタジーかもしれないが、乙女ゲームを意図のものではないという見方もあるかもしれません。
ですが、テンプレを否定する、元あったシナリオ構造をめちゃくちゃにするという構造自体が、まず原作としている乙女ゲームを破壊する行為に他なりません。
そしてその破壊する乙女ゲームが「テンプレ」に則っている場合は、すなわちそれはジャンルの常識を破壊するという痛快さを娯楽にしているに他なりません。

それが実態に即しているかは関係ありません。
露悪的であればあるほど良い。
陳腐でつまらないものであればあるほど、好き勝手心地よいものに改変する自分たちの正当性が際立つから。
断罪ざまぁされる本編にざまぁし返す気持ちよさに浸れるから。

悪役令嬢ものの作品では乙女ゲームの「主人公側」が性格が悪かったり頭がお花畑とこき下ろされたりしているのも同じ理由からではないでしょうか。
中によってはクソゲー認定されていたり集会の苦行をことさらに強調してくるすることもありますね。
結局、そういった「つまらない作品」の世界をぶっ壊す楽しさが娯楽としての背景にあります。
そして、そのつまらなさを担保するために架空の「乙女ゲーあるある」を使う――そこに茶化す要素がないと、ジャンルを馬鹿にする意図がないと本当に言い切れるでしょうか

中途半端に知識のある少女漫画ではダメで乙女ゲームが題材として選ばれる理由も、一切知識のない分野だからこそ、好き勝手な偏見で蹂躙し甲斐があるからではないでしょうか。
(ルートやフラグといった概念と作劇の相性の良さももちろんある)

と散々言ってきましたが、私もこういった作品の存在を否定する気は今更ありません。
だって、人を小馬鹿にするのは楽しいのは事実ですから
怒るのも勝手ならば、無視するのも勝手です。
「楽しいからいいじゃないか」と開き直るのも大いに結構だと思います。

ただ、下手な言い訳などせずに「自分は他人を踏みつける娯楽に興じているのではないか」という自覚ぐらいは持っていいんじゃないかという、ただそれだけの話です。

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