『人生の難しさ』

皆さん、こんにちは。

流通経済大学4年の三田尻知輝です。学生生活最後の分岐点として自分が感じた思い、経験を文に残してみようと思い書いてみました。上手く伝わるか分かりませんが最後まで読んでもらえると幸いです。

サッカーを始めたのは3歳の時でした。まだまだ小柄で生意気な私でしたがサッカーをすることに幸せを感じていました。サッカーをしていなければ、ここまで来れなかったかもしれません。そんな私が流通経済大学に進学して経験し、感じたことを主に4つのテーマでお話ししていきたいと思います。

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・親元を離れて始まった大学生活
親元を離れ、初めての寮生活で多くの不安がある中、幼い頃からの夢であったプロサッカー選手になる為によりレベルの高いところでプレーをしたいと思い始まった4年間。初めはレベルの高さに圧倒されついて行くのに必死でした。2月に入寮し、僅か1ヶ月後の3月に、第五中足骨骨折。手術をし全治3ヶ月の怪我でした。正直焦りでしかありませんでした。まだチームに馴染めていないし試合も出たい。そんな葛藤も有りつつも焦っててもしょうがない、今できること、すべき事をやれば良いと言い聞かせながらリハビリに励みました。
怪我が完治しサッカーができる喜びを感じこれでやっとサッカーができると思っていましたがやはり出場機会は少なく自分はまだまだ力不足だなと感じ日々のトレーニングで向上心を持ち練習に打ち込んでいました。それと並行し、全寮制なので寮に帰っても同じメンバーと顔を合わします。
月、火、水は学食で朝晩ご飯を食べ、木、金、土、日は寮でご飯を食べます。昼ごはんは自分たちで用意し、もちろん洗濯物も自分でします。どんなに疲れてても、しんどくても全て自分でしないといけません。高校生までは帰ったら温かいご飯があり、洗濯物は母親がやってくれて後はお風呂に入って寝るだけの生活をしていた私が全部自分でする様になると親の偉大さに気付きました。文句ひとつ言わずにただ息子の背中を押してくれていた母親には感謝しかありません。


・JFLでの挑戦
大学2年生に上がり、組織では2番手のdragonsと言うカテゴリーに所属する事が決まりました。
dragonsの所属リーグはJFL。大学生ではなかなか経験できない舞台に立つ事ができました。
awayでの試合は前泊し、試合に挑み終わればその日に帰るそんなプロの様なサイクルをしていた私ですが前期リーグは0出場。とても悔しくて自分なりに努力しました。自分に足りない物、誰よりも優れている物は何か自問自答しながら日々努力し、夏の遠征ではスタメンメンバーに選ばれていましたが、後期リーグ開幕と同時にベンチメンバー。前期よりは一歩前進しました。それでもチームのために途中出場でも与えられた限り全力ぶつかりました。時にはスタメンで出場する事が出来ましたがなかなか勝つ事が出来ずもがいた1年間でした。


・決断
大学3年生になり、自分はプロになる事が厳しいと現実的に考える様になりました。
なぜか今までサッカーをやってきて疲れてしまったのか「もうなんでもいいや」と思う時期がありました。そんな自分がすごく嫌で将来についてよりリアルに考えるようになりました。プロになれなくても社会人として自分が幸せならそれは成功なのではないか、プロになるだけが全てじゃないと思い、3年生の10月ぐらいで来年からは就職活動をしようと決心しました。その決断には後悔してません。


・集大成
4年生になり、就職活動と並行して学生生活最後のサッカーそして、人生最後のサッカーとなってしまいました。社会人になっても趣味ですることはあると思いますが真剣にすることはなかなか無いと思います。サッカーを通じて学んだ事、経験した事は計り知れないぐらい有ります。自分が今まで続けてきたサッカーが無くなるのはすごく怖くなる時があります。何が残るのかなってサッカーしかしてこなかった自分が来年4月から社会人として挑戦すると躓くことはいっぱいあると思う。でもサッカーやってきてよかったなって思えるような社会人であり続けたい、何より人が変わったなって思われるような人間でありたいと思います。
これまで関わってきた仲間、チームのスタッフには本当に感謝してます。そして何よりここまで立派に育ててくれ、支えてくれた家族、親戚、一番身近な方々には本当に感謝しても感謝しきれません。これから自分が支えていく立場として恥ずかしくない大人になっていきたいと思います。

長々と書いてしまいましたがここまで読んでくださった皆さんありがとうございます。
日本語がおかしいなって思う文が多々あると思いますが今自分が思ってる最大限の言葉です。
本当にありがとうございました。

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