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来年の誕生日僕はいないので

うわ~、しあわせ。車のドアを開けるとスイートピーの香りが飛び出してきた。3月の卒業シーズンは春の花のしあわせな香りで店内が満たされる。フラワーショップアスターでは月水金と1日置きに新しい花が入荷し、荷下ろしされた花の水揚げ作業が一斉に始まる。茎を叩いたり、煮たり、水の中で切ったりと、花によってその作業工程は様々だが、この作業を丁寧にすることが花の日持ちに大きく影響する。アスターは篦津さん夫妻が25年前にここ豊島区東長崎で始めた花屋で、スタッフ二人と共にこの日もお昼時分の店内はバタバタしていた。それでなくても3月は忙しない。

原さんはいつものように休み時間を利用してご注文に現れた。そう3月は奥様の誕生日があり、このバタバタしている時期にお見えになるのが常だった。いつものように奥様へのお花を注文すると、今日はもう一つお願いがあるという。

「来年の分も注文したいんですが、先のことなんでお引き受けいただけますか?」

もちろんなんの問題もない。

「実は末期癌を患ってしまい、余命宣告を受けました。おそらく来年の家内の誕生日に僕はいないのです」

聞いていたアスターの奥さん、奈緒子さんの手は止まり、なんて言葉を発していいのかわからなくなった。

「このカードを添えてもらえるとありがたいのですが」

お預かりしたカードには「亮」とだけ一文字。

奈緒子さんはこの日からのプレッシャーが忘れられないと語ってくれた。「こんな大事なものを預かってしまって、絶対に無くせないし、家が火事になるわけにもいかなかった」

原さんの死亡の知らせが届いたのは10月。会社から枕花を頼まれて知ったという。世田谷のご自宅までお花をお届けした。それがしばらく経ったある日、見慣れない一人の青年がアスターに花を買いにきた。なんとなく原さんの面影があって気になったが聞けるはずもなかった。でも直感で原さんの息子さんかなと皆が思ったそうだ。それがまたその後に今度は原と名乗る男性から「両親の結婚記念日用の花を注文したいのですが・・」と連絡があり、奈緒子さんはドギマギした。なぜならその日は原さんが奥様にとお花を贈っていた日でもあったからだ。当日花を受け取りに来たのはやはりあの時の青年だった。花束を受け取って駐車場から出た車が店の前を通過する時に、助手席にいた原さんの奥様らしき女性が会釈をした。その瞬間、奈緒子さんは奥様に間違いないと確信した。きっと原さんはご家族にうちの花屋のことを話したことがあったんだろうなと思って、次の奥様のお誕生日にはしっかりと責任を果たさなければという気持ちを新たにしたという。

3月のその日が近づくにつれ、奈緒子さんはそわそわし始めた。いきなり半年前に亡くなった旦那様から花が届いたら、それは想像を超える出来事できっと驚くだろうから、何かいい方法はないかと頭を悩ませていたのだ。

というのも原さんがアスターにやってきて少し経った5月の初め、奈緒子さんの従兄弟がくも膜下出血で急逝したという。それがその従兄弟は母の日の花をすでに花屋に注文してあったらしく、母の日当日に亡くなった息子から花が届いたものだから、叔母が玄関で泣き崩れたことを知っていて、それがどれほどのことか想像ができた。

原さんの奥様が驚くだろうことは想像に難くなかった。「来年淋しい思いをさせないように」と配慮した原さんの思いをどううまく伝えられるか、傷つけたくはないし、あとに引きずられても困るしと、何回も何回も書き直し、言葉を選び、事の経緯を丁寧に手紙にしたため原さんのカードに添えて、原さんのご希望通りのお花を奥様にお届けした。

その日のうちに奥様からアスターに電話があった。花が届いてとても驚いたこと、またその手紙を読んで号泣してしまったこと。

奈緒子さんは言う。「特に悲しい切ない思いを花に乗せるのは辛い。受け手の受け留め方でいかようにも伝わるから」「あとね、いろいろ考えさせられたわ。自分の好きな花を贈るのはどうなんだろうって。相手が何なら喜ぶかを考える人って案外少ない。花なら喜ぶだろうくらいの人が多いのよね」

原さんは奥様の喜ぶ花を心得ていたそうである。


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