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花屋に賽銭

夕方になって今にも雨が降り出しそうだった。
閉店間際の時間になりやっとひと段落した頃に背の高い紳士がスッとやってきて
「これ3本頂戴」
1本300円なので締めて900円+消費税
すると
「いやそれは悪いよ、それじゃあね...」
と言いながらポケットをごそごそ。
出てきたものは千円札に小銭がいろいろ。
「せめて受け取って」

多摩花賣所は路地裏ビルの3階で宣伝もせずに路上看板だけで13年も営業をしていた。0426 Spring Garden という名前のそのビルは1階入り口の両サイドに店があり、正面入口には噴水があった。ビルの中央は空天井で滝が落ち、全体が回廊になっていてちょっと不思議な空間のビルだ。入ってすぐに上を見上げると右上3階に多摩花賣所が見えた。
3階の花屋はとても珍しく、重い扉を開けると天井がかなり高かった。その広い空間に中2階があり、店内は竹林を思わせるほどの竹が交錯していた。「かぐや姫の住むところ」がテーマだったので竹には照明が仕込んであった。
ここは今でも一番お気に入りの店で、売上もなんだかんだと3階にしてはよく売れた店だった。

でも時代の波には勝てず、大家さんが代わり、雑貨屋、ブティック、ユーミンのご実家がやっていたお洒落着物の店などが次々と消え、瞬く間に夜の飲み屋のビルに変貌してしまった。朝出勤すると、夜の名残りが階段や通路を汚し、以前は綺麗だったレンガの洒落たスペースにも空き瓶が並ぶようになると、その雰囲気の変わりように戸惑うこともでてくるようになった。
そろそろ引っ越し時だろうか・・
そんな頃に隣りの証券会社が駅近に引っ越して跡地がマンションになるという。多摩花賣所はその1階の路面店に引っ越すことを決めた。

引っ越してからというもの、どういうわけかお客様からチップ立て続けに頂くことがあり、これが謎というか不思議でならなかった。
おやつは時々頂くけれど、現金とはどういうこと?

ある日可笑しなお客様がみえた。
何でもいいから1本包んでという。威勢のいい人だ。間違っても青年ではないし、話し方からオマケしても紳士とは言い難い。30代?40代?どちらともとれる風貌で年齢は不詳だ。
「この間のネエちゃんはいないの?」
「まったくふざけたオバサン(=ネエちゃん)だったな」
「たまに花買うけど今まで作ってもらったどの花束よりここのが良かったよ」
お会計の時に100円余分に置いてチップだという。
「これでコーヒーでも飲んで」

思い出した!!
この間も100円余分に置いて
「ありがとな、これでコーヒーでも飲んで」
と言った人だ。
「いいんですか?わぁ嬉しい。え、100円?すみません、今時100円じゃ缶コーヒーも飲めないんですけど」
スタッフの長尾は、誰にでも好かれるタイプ。人を見極める術を持つので、お客様に合わせた対応はお見事なんだけれど、たまに調子に乗る時があるからまるで漫才のような返しをした。

「なにをぉ〜!? まさかそうくるとはな、でもそりゃそうだ。缶コーヒーも100円じゃ確かに飲めねえわ」
と小銭をジャラジャラと置いてサッと消えてしまった。「冗談ですよ」という声も届かないうちに。

ある日また花を買いに見えたので、置いていった現金分をサービスすることにした。するとその日も
「あ、今日は3人いるの?じゃあ」
と100円に200円追加で置き
「この間のオバサンにも渡してやって」
とさらに100円置いていった。全員にチップという実にありがたい100円だった。帰り間際にお名前をお伺いしたら
「ゲロゲロブー」という。
それ以来ゲロゲロブーはブーちゃんと呼ばれ、本当の名前を知らないままお付き合いが始まった。ブーちゃんは週1くらいのペースで飲み屋さんへ通い、その度に花束をいくつか買ってお土産にしていた。ある日は急いでいたようで、そのお店まで配達を頼まれてお届けすると、「ありがとさん」と言って、すぐさま同じカウンターで一緒に飲んでいた常連仲間たちにもその花を配っていた。ママや女の子だけじゃなかったんだ。いいとこあるなぁ。

それでそのチップなんだけれど、なんど遠慮しても
「うるせぇ、俺の金受け取らねぇっつうの?」
って花のオケの中に小銭を放り込むようになってしまい、
「賽銭じゃあないんだからやめてーっ!!」
「あばよー」
やれやれ、もお。

水換えや掃除の度にオケやディスプレイ、輪ゴム入れの中から小銭がでてくると、ブーちゃんの顔が浮かんではニタニタしていた。
ブーちゃん預金は来る度に貯まっていったので、来店の度にサービスして、その都度またどこかに置いていかれるというイタチの追いかけっこだった。どうやらそれは多摩花賣所のあとにバトンタッチした花屋ノアンさんにもそのまま引き継がれているらしい。

数年ぶりにノアンに寄ったので、ブーちゃんの近況を聞いたら「最近はあまり来ないんですよ」
聞けば身体を悪くしてお酒をやめたんだそう。
「いきつけのお店にお花を届けていたじゃないですか。もう完全に飲めなくなって行かなくなったみたいです」
もともとあまり飲めなかったけれど、雰囲気が好きで飲み屋通いをしていたブーちゃん。ついに、その飲み屋通いもなくなってしまったとは。

あー、会えないとなると無性に会いたくなる。
サプライズで電話でもしてみようか。
そういえば元旦が誕生日だったっけ。
「オタク、どこのネエさん?」
開口一番のセリフが浮かんでニヤケてしまった。


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