それぞれの物語を生きる

飛騨には両面宿儺(すくな)と言う英雄がいます。
日本書紀に登場する宿儺は顔が2つ、手が4本ある怪物で、悪者のような描かれ方をしています。 ですが、飛騨では侵略者たちから自分たちの場所を守ろうとした原住民の勇敢なリーダーだと思っている人が多いです。 おそらく昔からそう伝わって来たのでしょう。 
歴史的文献というのは大抵、時の権力者にとって都合の良いように書かれているものです。 しかし、それは歴史の話だけでは無く、報道などでも同じことが言えます。 仲の悪い国同士であれば、相手の印象を悪くするような情報を流したり、自分たちにとって都合の良い報道をするものです。
ここでは、そういった事を批判したい訳ではありません。 ただ、その様な事というのは、ほんの表層でしかなく、それくらい不確かな上に、僕らの物語では無いという事です。 そこに登場するほんの一握りの人たちの裏には、無数の無名の人たちがいて、その数だけ物語があります。

僕は、全く知らない土地だった飛騨、国府町宮地に2010年に越して来ました。 ここには小さな社会があり、共に生きていくためのルールやマナーのようなものがあります。 それぞれ少しずつ考え方は違っても、集落のためとなれば当たり前のように力を合わせ助け合います。 それが、おそらくは100年前も、500年前も、ずっと変わらず、無名の人たちによってしっかりと受け継がれて来た、ここでの暮らし方です。
その思いは歌や踊りにも込められているのでしょう。 誰が作ったのかは分かりませんが、それでも思いは伝わっていくのです。 文献には残らなくても、メディアに流れなくても・・・。
だからこそ大切なのは、無名の人たちの日々の営みなのだと思います。 
僕らの幸せは、政治家や経済の流れによって決まるようなものでは無く、ヒーローが現れて僕らを幸せにしてくれる訳でもありません。 世界をより良くしていくのは、抜きん出た能力を持つ一握りの人間ではなく、一人一人の、ほんの些細な思いやりや親切、愛情、そしてほんの些細な夢やロマンなのではないでしょうか。 
やがてそれは、途絶える事の無い、力強い流れとなっていくはずです。
たとえ世界で何が起こっていようとも、僕らがすべき事は、日々の暮らしに、ただひたすらに向き合う事なのだろうと思います。

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