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ネタバレを食らいたくないので

ネタバレを食らいたくないので、わたしは生産することに逃げる。
Twitterの中毒性に侵されていた自分の姿をそこに見る。
Tweet感覚で文字を打つ。
日々思ったことをセンセーショナルに誇張して描く。

「あの夏が飽和する」という曲を聞いたことがあるだろうか。
あの曲は作曲者の夏の逃避行を基に作られた曲らしい。
そこにあの子がいたのかはわからないしわからなくていいと思う。
そのくらいの揺らぎがないと面白くない。

彼女がいるとか、そういう話であっても揺らぎがある方が面白い。
「あ、俺彼女いるよ」ってスカす人間よりも「実は…彼女ができまして」って恥ずかしながらに言う人間のほうが、その彼女のパーソナリティに興味を持つような気がする。

あるひとに彼氏・彼女がいたとき、その人に対して「ああ、やっぱりこんないいやつには彼氏・彼女ができるんだな」と一線を置いている。
保身ですこれ。みんなが幸せそうにパートナーとパフェを食べている時、本当に幸せであってほしいと思いながらこんなことを思っている。

ある意味で独り身は厭世感を生みやすい。
社会とのかかわりを自分から脱しようとするなかで厭世的な、ペシミスティックな観念が出てくる。それじゃあ僕に彼女ができたとき、そのペシミスティックな心はどうなるんだろうか。はて


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