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俺の尻

「これは、あかん…」

真っ昼間の会社のトイレ。
ドキドキしながら、恐る恐る鏡に映った自分の後ろ姿をチェックした。

やっぱり…めっちゃ出てるやん…

ベージュのチノパン。お尻の肛門のあたりに、赤い血が滲み出ている。縦長に5センチくらいの丸だ。

やばい…これはほんまにあかんやつや

この日の午前中、僕はイボ痔の手術を受けていた。手術といっても簡単なもので、サクッと昼休みに切除してもらえて、手術後は普通に会社に戻って仕事ができる程度だ。

この頃、難度の高いパンフレットのデザインの仕事に取り掛かっていて、連日大忙しだった。会社から自宅へは、片道で2時間かかる。その行き帰りの時間が惜しく、自腹でホテルをとって仕事に時間をあてていたくらいである。

でもそれは僕が勝手に望んでそうしていた。

ブラック企業がどうのこうのとか…もちろん、本当によくない企業もあるんだろうし、触れるのが難しい問題だ。でも僕は、たとえホワイト企業にいたとしても、自分の成長のために率先してブラック社員になる時期が必要であるとは思っている。実際この時の経験は今にも生きている。

とにかくこの頃はがむしゃらに仕事をしていた。やればやっただけ良くなることがわかっていたからだ。とにかく良いものを作りたかったのだ。そのため、お昼の休憩時間にサクッと取れて、すぐに仕事に戻れたことは大助かりだった。

…が、

術後、会社に戻ってきて仕事に取り掛かるも、どうも手術した肛門あたりがおかしい…。

動くたびに、なんか出てる気がしていた。立ち上がると、じゅわっ…歩くと、じゅわじゅわっ。座るときも、じゅわって。

これ、なんか出てるんちゃうん…まさか、しっかり縫えてなかったのか?

というわけでトイレに来てみたら…

案の定、めっちゃ出てるし。

お尻は血で真っ赤、手で拭うと血がべっとり。

ほんまにあかん!これ、どういうことや!僕の肛門で一体なにが起こってるんだ!

どうしよどうしよどうしよ…!こんなに出血してて、中で何か大変なことが起こってるんじゃ…!もしかしたら貧血で倒れたりするかも?会社で倒れるなんて恥ずかしい!いやだ!僕はどうしたらええんや!

大パニック!!

…ともかく早退だ。どうしたらいいかわからないけれど、とにもかくにも、まずは家に帰らなきゃ。

ド混乱のなか、上司に報告する。
「し、尻が… 血が… あ、おなかが…なんか痛くて…」

超絶パニックの中だったが、恥ずかしくて “痔” とは言えず、なんとかそんな感じで早退の許可をもらい、自宅に帰ることにした。

まずは電車だ。会社から駅までは歩いて2、3分。

大きく動くと、じゅわっと血が出てるのを感じる。あまり肛門を動かさずに、なるべく小股で、そそそ…と歩いた。

みんなが僕の尻を見ている気がする。

あー。なんで今日チノパンにしたんやろ。黒いパンツ履いてたらよかった。めっちゃ血の色が目立つやん。見て、あの人、尻から血ぃ出てない?ヤバない?って、コソコソ言ってる気がする。口には出してないけど目がそう言ってる気がする!

あぁ〜、もう見やんといて…

斜めがけのカバンを持っていたので、それで尻をなんとか隠しながら、そそそ歩きで慎重に駅に向かった。ちなみに、僕はこの日以降、ベージュのチノパンを履いていない。

歩きながら、状況を整理した。

あぁ、なんで僕はあんなに冷凍みかんゼリーを食べてしまったのだろうか。全部みかんゼリーのせいだ。

連日の激務の中、僕の唯一の楽しみだったのが、冷凍みかんゼリーだった。コンビニのあの、どっさりとみかんが入ってるやつ。あれを冷凍して食べるとめちゃくちゃうまいのだ。仕事帰りに買ったものを1時間半くらい凍らせて、夕飯の後、半冷凍くらいの状態で食べるのがベストでうまい。

しかし、せめて1日1個にしときゃよかったものを、うますぎて、僕は朝にももう1個食べていた。しかも、朝は完全に凍ったやつ。ガチガチのやつ。

連日そんな感じだったため、当然そのうち下痢になり…。

それでも至福のみかんゼリー生活をやめられず、そのうち、ずっとお腹が痛くてトイレにこもる状態になってしまった。一回出したらしばらくはそんな簡単に出るはずもなく、でも出ないのにお腹は痛いから、結局ずっときばっており…。

そうすると、ある日、ふと気づくわけである。…あれ?って。

拭くと、何かがあるのだ…肛門に。パチンコ玉くらいの、ちょっと硬い何かが。あれ?何これ?って。

全然痛くはなくて。触っても本当になんともなくて。

実は、痛くないのである。生まれたてのイボ痔は。不思議な感じ。宇宙人に何かを埋め込まれたんちゃうんかみたいな。硬い何かを。生まれたての清らかな何かを。

でも、僕がいくらそんな風に清らかアピールをしてイメージアップを測ったところで、それは正真正銘イボ痔だ。そのまま放置しようか少しは考えてもみたが、妻も心配しているし、やはり共に生きることは諦め、今朝、とうとう会社の近くの肛門科に行って、手術をしてもらったのだった。

ようやく駅についた。平日の昼間なので、席は全然空いていたけど、血が着くので席には座らず。扉の横に立つことにした。尻がみられないように、座席側を背にした。扉の横の座席裏にちょっと持たれて立っていた。

しかし、これがまずかった。意外としっかりもたれすぎた。

最寄り駅に着いて電車を降りる時、ちらっと見えた。一瞬で、しっかりとはわからなかったけど、もたれていた座席の裏側、補助シートの出っ張ってる部分に、ちょっと血が着いてしまってた気がする!やばい!

バッと振り返るが、もう人の影になって見えない!ドアも閉まってしまった。あかん!そこには、僕の尻の血が!うわぁ〜どうしよう…すいませんすいません、ごめんなさい…できる事ならドアこじ開けて拭きに戻りたい…!

…!

一人、気づいた!
お姉さんが、めっちゃ見てる! 

あぁ、やっぱり着いてたんや。

ほんまにごめんなさい、電車の方…。冷凍みかんゼリーのせいです。


最寄り駅から自宅へ。普段なら自転車で40分くらいだが、どう考えてもそんなの尻とともに死ぬだろうから、妻に車で迎えに来てもらった。

妻の顔を見ると安堵した。妻は、普段通り落ち着いていて、心配しながらもちょっと笑っていてくれた。それを見て、僕もちょっと笑えて、グッと落ち着いた。すごく救われた。それに、これで尻から血を出して街中で息たえることは避けられた。

しかし、車は妻が独身時代から大事にしていた愛車だ。かたや、チノパンの血のシミの方は、5センチからもうだいぶ大きくなっており、さらにじっとりと布地に血を含んでいた。絞ったら滴るんじゃないだろうかと思うくらい。

僕の尻の血で汚すわけにはいかないので、足置きのスペースに横向きにうんこ座りの要領でおさまることにした。足置きは黒いマットだったけど、それでも絶対に血をつけてはいけない。ここは、腕で支えてうんこ座りが最適解なはずである。

尻を地面につけないうんこ座り。そして車の走行でかなり揺れるので、だんだん足の脛、支えてる腕も疲れてきて、後半はずっとプルプルしていた。車の外から見たら後部座席には誰も乗ってない。妻が一人で運転しているように見えたはずである。誰もこの車の後部座席の足元に、尻から血を垂れ流した大の大人がうんこ座りでプルプルしているだなんて夢にも思わないだろう。

無題 - 2021年5月21日 18.02 4

全身のプルプルが限界を迎えそうな頃、ようやく自宅へ到着した。

あたりはもうすっかり暗くなっていた。庭の駐車場に停車するやいなや、車からすぐに降りた。手足が限界だったのもあるが、それよりも、とにかく最新の尻の状況を知りたかったのである。

妻がエンジンを切るより先に、車のライトで尻を確認した。5センチくらいだった血のシミは、今やアンパンくらいになっていた。

車の到着の音を聞いて、子どもたちが庭まで出迎えに来た。

「こっちきたらあかん!」妻が急いで子供達を家にかくまった。

そうか。まだ幼稚園の子供達。大黒柱である父が、子鹿のようにプルプルしながら尻にアンパンみたいな血をこさえていているなんて絶対トラウマになるだろう。妻の機転のおかげで大黒柱としての僕の威厳は助かった。ナイス妻。自分はあとで子供がいないところで「肛門がどうなってるかしっかり見せて」と、完全に面白がってめっちゃ強引に見てきたけど。


諸々キレイにして落ち着いたところで、今日1日の地獄の体験を妻に報告した。

「そんなんコンビニでナプキンかなんか買ったらよかったのに」

…!!

ナプキン!!ほんまや。

なんで気づかなかったんだろうか。ナプキンに辿り着かなかったにしろ、ティッシュやトイレットペーパーでも当てといたらまだよかったではないか!
そうだ、僕は尻をみるためにトイレまで行ったのに。トイレットペーパーまであと数十センチのところにいたのに。

気が動転していたし、とにかく帰ることで頭はいっぱいだったのだ。しょうがない。今度また尻から血が出ることがあったら、これからはすぐナプキンを買おう。いやまて、今度って、こんな尻から血が出ることなんかそうそうあってたまるか。今のなし。

とにかくナプキンを装着して止血することにして、ようやく尻を落ち着かせることができるようになった。


ナプキンてすごい。

朝、起きると、血はすでに止まっていた。ナプキンはその小さな体で僕の尻の血を全部受け止めてくれていたのだ。

なんてことだ。CMなどで、知識としては知っていたが、実際こんなすごいのか。感動した。人類は全員、常に1枚カバンに常備しておいた方がいいんじゃないか。


そして、病院へ。

現代科学の結晶、ナプキンのおかげで血は止まっていたものの、やはりどう考えてもおかしいので診てもらった。

手術を執刀した医師だ。中年でちょっとハゲていてメガネをかけている。
結果、特に問題はなさそうで、切除後の縫合が甘かったために出血してしまったのではないか、ということだった。

サクッと早く終わるのはありがたいが、尻に赤いメロンパンができるのは勘弁だ。しっかりしといて欲しかった。まったく。

念の為、追加で縫合してもらっておくことになった。

しかし、ここで医師の口から予想外の言葉が。

「麻酔なしでいく…」

「は??」

「えっ!?」看護師も驚いている。

「麻酔の方が痛いから」

確かに手術前の麻酔は、めっちゃ痛かった。

しかし、看護師も驚くって、相当レアなんじゃ?大丈夫なんだろうか?いや、大丈夫じゃないでしょ!絶対めちゃ痛いでしょ!

しかし、ここは常に待合には20人は待っている人がいるような忙しい肛門科。不安でぐるぐるしている間にも、看護師たちの一才の無駄のない流れるようなテキパキとした動きによって準備を整えられていき、なすがまま、気づくとズボンとパンツをおろした状態で、診察台の上に横になっていた。

僕は右耳を下にして壁の方をむき、背中側にいる先生の方にお尻を突き出す格好で、海老のようにまるまっていた。へそのあたりにカーテンが敷かれ、自分からは下半身が見えない仕組みになっている。一応、見えない方が怖くないだろうという心遣いなのだろうか。いや。怖いだろ。いつ来るかわからない方が、余計怖いだろ!

無題 - 2021年5月21日 18.02 6

麻酔なしで縫合…麻酔なしで針が刺される…麻酔なしで肛門を…麻酔なしで!?

「じゃあいきますねー」と医師。

心の準備も全然できてないのに、もうくる!!!

恐怖で目をぎゅっとつぶった。

ギリギリギリギリーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!!!

に、肉をっっ!

ちぎられているっ…!!

食いちぎられているっ!オオカミ的なものにっ!!

めちゃくちゃ痛い!!味わったのことのない激痛!!

「ぅ…ぐうううぅぅっっっふぅっ!」

我慢しきれず、今まで出したことない声が体から勝手に漏れ出た。

「あぁ…痛いですよねぇ〜」

堪えきれずブルブルと震える僕を看護師が慰めてくれた。

めちゃめちゃに痛い!激痛すぎる!

全然こんなもん麻酔の比じゃない!麻酔は一点集中でチクーーッっと痛いのに対して、縫合の痛みは面だ。もう全部持っていかれる感じ。敵は肛門を根こそぎ持っていこうとしている!!

カーテンで見えない下半身!(恐怖で目をつぶりまくってるからどのみち見る勇気もない)もしかしたら下半身が一瞬にして全部燃えているのではないか!?いや、もしかしたらほんまに突然動物園から逃げ出してきたオオカミが僕の尻を食いちぎってるのかもしれない!そんな痛みだった。

考えてみれば、肛門付近の柔らかい部分なんてもうある意味内臓と同じと言っても過言ではないだろう。そんな部分をぶっとい針が貫くのだ。2針と言ったって、一回入ったら出て来ないとならないわけで。入って出て入って出て。こんなもん完全に拷問じゃないか!!

前田高志の今まで眠っていた痛覚の全てが目を覚まし、肛門のみのただ一点に総動員で大集合し、一糸乱れず一丸となって、一世一代の大舞台を迎えていた。間違いなく今までの人生最大の痛みだった。


「終わりっ…」

医師は、カシャン…と、ドヤりながらメスを置いた(ように聞こえた。)


耐えた…

下半身も、尻もちゃんとそこにあった。


映画『ランボー』ではスタローン演じるランボーが、麻酔をしないで腕の傷を縫合するシーンがある。

でも、腕と肛門の皮膚は強度が違う気がする。絶対肛門の方が100倍痛いはず。

つまり僕はランボーを超えたのである。

肛門付近の縫合はランボーでも「もうあかん」って思うはずだ。


そう。僕はランボーを超えたデザイナー、前田高志です。

どうぞこれからも、よろしくお願いします。


***

なんで突然こんな話を書こうと思ったか?というと、たまたまその日、朝5時に目が覚めてボケ〜っとしてたんですね。作家の岸田奈美さんのnoteで「もうあかんわ」エピソードを募集していたのを発見。「もうあかんわ」という言葉がトリガーとなり、「ふぁーーっ」と俺の尻のことを思い出したんです。

いきおいで当時の記憶を頼りに自分でメモの殴り書きしました。これを岸田奈美さんのように面白く伝えられたらなぁと思いました。そこで、岸田奈美さん主催の第一回キナリ杯で優勝した斉藤パン子さんに書いてもらったらもっとおもしろく伝えられるのかも?と依頼してみました。記事の監修は同じく岸田奈美さんの「キナリ読書フェス」優勝の浜田綾さんにお願いしました。僕にはできない状況描写、言語表現、構成ですごく勉強になりました。


デザインのことを書いているnoteで、尻だけの話だとなんか申し訳ないのでデザインの話もしますね。僕のnoteほとんどデザインの話ですし!

若い頃の前田青年は、デザインの仕事も尻事もがんばってました。

特にデザイナーとしては、ブラック企業ではなく、 自らブラック社員になりました。自分を高めるために「良い仕事をしたい!」と命を燃やしていました。僕は自主的にブラック社員になるのをおすすめします。(もちろん、強制的に働かされるブラック企業はいけません。一刻も早く離れましょう。)

拙著『勝てるデザイン』の本はノウハウよりほぼ姿勢の本です。

姿勢がアウトプットの質を変える。これは必ず40代で大きな力になっていきます。スキルよりもこういったド根性経験が未来のあなたを支えます。説教くさく聞こえるかもしれませんが、それでもあえて書くのは、僕はもっとやっておけばよかったと後悔しているからなんです。基本怠惰な人間なんで……。


もうひとつ、後悔している姿勢は「さらけ出すこと」です。今の僕を知っている人は、驚かれるかもしれません。昔に一緒に仕事した人は「前田さんはとてもシャイで口数も少なく、黙々と仕事をこなす職人肌」だったのにと驚かれます。

「ツイッターでうんこを漏らしてちょうどいい」

これは僕の名言(自分で言う)で、今やSNSでもなんでもさらけだすようになりました。

自分でビジネスをしていく上では「知ってもらってなんぼ」だと新しい環境に順応したのと自分の人間性に合っていたのでしょう。

今から15年前。29歳の僕は劣等感の塊で、恥をかきたくないし、笑われたりするのが嫌で、自分はもっとできるんだ!認めたくないという気持ちが強かったんですよね。

さすがに15年も経てば、もうダメな自分にあきらめてるし、自分を信じていることも見つかりました。ダメな自分も含めて自分を許してあげられるようになりました。

今、15年前の自分に伝えたいことは「おいしいやんか!そんなことで嫌われるなら、そんな会社辞めてしまえ!違う部署に異動願いを出そう。」

こんなことで嫌われる部署ではなかったです。(むしろ、好かれそうな職場環境でした。)

変化をすることは悪く変化してしまうことへの恐怖です。恐怖を払拭することはできません、ただ勇気があれば恐怖に「一歩」踏み込めます。


その聖なる一歩を大事にしてください。
小さいことに悩んでたんだなぁと気づけます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


仕事はきばろう。
お尻はきばりすぎないように。


デザイナー/前田高志

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