自分というモノ

そもそも、インターネット明瞭期の1996年に自分のホームページをRIMネットで作って以来日記というものが長続きした事がない。人生の前にも後にもあの時期が人生で一番日記を書いていたと思う。最近はTwitterでつぶやく事はあるが、日記というには程遠い。

という訳で、人生40年、社会人経験22年を振り返ってみて自分が何者をかを考えてみた。18歳の僕は、学校に通いながら「ゲーム企画」にあこがれていた素朴なガソリンスタンド店員であった。そんな僕は、当時の所長と喧嘩をして、アルバイト先を変えようと模索した。当時は、アルバイト言えばフロムA、火曜日と金曜日に発売される冊子である。それを眺めていたらとあるゲーム開発会社が目に入った。ガソリンスタンドが時給1,000円程度であったがその求人ではプログラマ2,000円(試用期間1,500円)という破格であった。実は、プログラムが大好きで小学校、中学校、高校とひたすらゲームプログラムを書いていた。もちろん、x86系のアセンブラ、C言語はグラフィック周りも含めて一通りはわかった。求人にも「C言語ができる方」。実にシンプルである。電話をかけて、面接をして受かってしまい、プログラマ人生が始まったのであった。スタートから妥協である。

会社は今で言えばブラック企業であったが、楽しく働けた。楽しすぎて学校をやめ、そのまま就職したくらいだ。僕は、そこでも流れに任せて妥協した。でも、ゲームプログラムをかけるから幸せだった。こっから、半生を描くと非常につまらなく、長い文章なので割愛する。

僕のスタートは、今で言うベンチャーと言う所である。当時で言えば零細開発会社という感じであった。

最近、ネットを見ていると「スタートアップ・ベンチャーで!」等が踊っているが、僕がスタートアップで働く上で重要だなぁと思うのは、気楽に考えることである。たとえば、アレになりたい、コレをしたい等といっても、そうなれる事は少ない。どちらかというと、状況に合わせて自分の意志で変えて行く事が重要なんではないかと思ってる。川が上流から下流にながれる事は変えることができないが、オールを持ってさえいればある程度のコントロールはできるものである。結局、自分は自分で、他人は他人。twitterやfacebook、noteをみればすごい人が溢れているが気にすることはない。自分は自分なのである。

ベンチャーで楽しくやるコツはコレだけである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?