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教師不足は止まらない

#教師不足
#学校
#給特法

さて、20年後を見据えて議論しよう。

今すでに教師不足が叫ばれ、待遇の改善などが議論されている。4月時点で教師が足りない自治体も多く、昨年度で2000人以上の教師不足が全国で起きた。今年度はそれを上回っていることだろう。
採用試験においても、地方の小学校の採用試験では倍率が1倍程度に落ち込んでいる自治体もある。
休んだ先生の代わりとなる講師がいつまで経っても来ないとか、技術や美術の先生が決まらないなんて事はいつでも起こる事象である。

そこで待遇の改善をして、教師不足に歯止めをかけようとしているが、給特法は改正されず、教職調整額を10%にしてお茶を濁すなど、教師不足の解決には遠い内容である。しかも、財源がないとの理由で財務省がそれに難色を示している。

それはなぜか?

少子化により、子供の数が減るので不足する教師の数はここ数年がピークで、その後は教師不足と少子化が均衡し始めると、国は予測しているからだ。

しかし、国は重大な事を見落としている。正確には見落としてはいないが解決策が見いだせないというのが正しいかもしれない。少子化が進むという事は、労働人口が将来的に減る事になるので、教師は更に減るという事である。その中で教師という職業が生き残るかを議論しないといけないはずなのだ。もはや、教師不足の問題ではなく、公教育が成立するかどうかの問題になりつつある。

現在、教師だけでなく、あらゆる業種で人手不足に陥っている。仮に教師の待遇改善が容認され、教師が現在より増えたとしよう。それは、あくまで他の業種から労働人口のパイを教師に移動させただけに過ぎない。これは他の業種も含めた人手不足の解消にはなっていない。

では、教師の数が維持され、少子化が進んだとしたら教師不足は解決されるのか?実は教師不足は解消されない。なぜなら、一人あたりの仕事量はむしろ増えるからだ。

わかりやすく考えよう。校務分掌も含めた学校の仕事量を100としよう。それをその学校では50人で運営していた。しかし、誰かが産休に入ったとすると、代わりの講師は来ない。つまり、100の仕事量を49人で分担しなくてはならない。これによって、単純計算で、一人当たりの仕事量は増える。では、将来的に教師の数が減ったとして、45人で運営するとなるとどうだろうか?さらに一人当たりの仕事量は増える。そうなってくると、通常業務に加えて、何を削減するかの議論をして、決定し、保護者や地域に理解してもらわなければならないという業務が発生する。特に運動会などの学校行事になると、なかなか話はまとまらないだろう。

当たり前だが、仕事が増えると、休みに入る教師の数が増える。

ここで、少子化で教師不足と均衡がとれるようになると考えている文科省はある視点が抜けている事に気づかなければならない。

それは

学校を運営するための仕事量は、減らない

という事だ。

そして少子化になるという事は教員定数が減るという事だ。つまり、今後どう足掻いても、一人あたりの仕事量は増える一択なのである。文科省も教員定数の改善をしたり、教師以外の人材を登用し、負担軽減を画策しているが、果たしてそもそもの労働人口が減っている中で実現可能か?可能性は極めて低い。やはり、仕事量が減る見込が立たない。

そうなると、ますます教師の働き手はつかなくなり、休業に入る教員は増える。

このようにして、負のスパイラルが回っていく。すでに現在でも、このスパイラルに突入していっていると言っても過言ではない。
いくらやりがいを訴えても教師は増えない。意味がないのだ。

では、教師不足を解決するために、教師という職業を生き残らせるために、どうすれば良いのか?

一、少子化に合わせて公教育の規模を小さくする

これには複数の意味があるが、まずは少子化に合わせて学校そのものの数を減らす事だ。今後は、小規模の学校が比較的都会でも増えるようになるだろう。その時、思い切って学校を統廃合するのである。学校の数を減らす事が仕事量を減らす最善策だ。これは自治体単位でできる事だ。

その次は、標準時数を減らす事だ。昔に比べて、小学校の外国語や道徳の教科化、総合的な学習の時間が増えた。それをやり切る事が文科省から求められる。それを小規模化する。標準時数を減らし、時間的な余裕を作るしかない。
さらには、教科を減らす事も検討しないといけない。技術や家庭科、美術は教員不足が最も激しい教科である。兼務し、多忙なために病休に入ることも少なくない。また、兼務のために分掌を任せる事も難しくなり、その分の仕事量が他の教員にのしかかる。これらの教科が本当に今後必要かを検討しないといけない時期に入っている。現に、4月から技術の教員が今だに

配置すらされていない

学校があるという現実がある。
担任すら配置されていない学校があるという事を忘れてはいけない。

一、積極的に休校にすることを国が推進する

これはどういう事か?例えば、インフルエンザなどで出勤できない教員が同時に複数出る事がある。児童生徒では学級閉鎖となるが、教員はそうなっていない。つまり、教員が病気で休んだ場合は、休校できるようにするという事だ。現在では、他の教員が休んだ教員の授業の穴埋めをする。担任が休めば、別の教員が担任の代わりをする。これは、かなり教員を疲弊させている。インフルエンザやコロナウィルスになると、1週間出勤できない。まして、感染性の病気であるため、複数同時に起こる。このような場合は、学級閉鎖と、同じ理屈で学校を休校にする。

学校のシステムは、教員が休まない事を前提にしている


これをする事が必要である。

以上、教師不足が解消しないという前提でこれからを考えてみた。これからは、いかに少人数の教員で学校を運営できるかを考えないといけない。これは学校単位でできる事もあるが、もちろん限界もある。

少子化と労働人口の減少を踏まえていかなければ、公教育は崩壊する。
日本の少子化の進行は早い。手遅れにならない事を切に願う。



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