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出張といえば山ちゃんの手羽先

「山ちゃん買ってきたぞ〜」
そう言って袋を掲げる父の姿を、名古屋から大阪に帰る新幹線の中でふと思い出した。

父は平均的なサラリーマンであったと記憶している。
頻繁に出張があるなら土産なども無くなって行くのだろうが、父はたまの出張であったため、その都度土産を買ってきてくれた。

それは土産らしいパッケージングの饅頭であったり、定番の東京ばななであったり、うなぎパイであったりしたが、東京土産のなかでとりわけ気に入ったのは「ごまたまご」であった。
あのもったりとした甘味とごまの風味が忘れられず、父からリクエストを聞かれた日には決まって「ごまたまご!」と返答していたように思う。

ある日父は名古屋に出張へ行き、土産に「世界の山ちゃん」の手羽先を買ってきた。
父は帰るやいなや数十本の手羽先が入った箱をレンジで温め、着替えもそこそこに晩酌の準備を始めた。
そして駆け寄り手を伸ばす子供たちを制し、父はこう言った。

「手羽先ってのはな、上手な食べ方があるんや。まず1本外すから見とき。」

父は指導用の手羽先を掲げるやいなや、関節を逆方向にペキッと折り、身のついている側を口に入れた。
その慣れた手つきになぜか残忍さを感じ、少し引いてしまったのを覚えている。
今思えば、解体され揚げられ味付けまでされている鶏に今更「残忍」も何も無いのだが、子供ならではの想像力というか、腕の関節を逆側に曲げられることの恐ろしさ、みたいなものを自分に置き換えるような形で想起していたのであろう。

その後、父の見よう見まねで「関節折り」チャレンジしてみたが、なかなか上手くいかない。
食べにくいし、味は子供にはコショウ辛く、あまり嬉しいものではなかった。
そして、身のない方はほとんど食べるところないことを知り
「なんて実りの少ない食べ物なんだ……」と子供ながらにがっかりしたのである。

父は「このコショウがビールに合うんや」と言いながら、アサヒスーパードライの350ml缶を飲んでいた。

今、エビスの500ml缶をあおりながら、父の言う通り、この味は本当にビールに合うなと思っている。
そして、当時父の味わっていた感覚と同じものを感じられて少しうれしくもある。


父の出張と言えば、もう1つ思い出すことがある。

父が東京へ出張に行った際、「トーキョーってどんなとこ?」と聞いたことがある。

恥ずかしながら18歳まで東京に行ったことがなかったため、子供の頃、東京とは未知の世界であった。
行ってみたいと懇願したこともあったが、
「旅行に行くようなとこちゃうで、ガチャガチャしてるだけやし」と冷ややかにあしらわれるばかりであった。
せめてどんなところかだけでも聞きたいと問い詰めたところ、父の返答は

「あんなとこ、梅田がずーっと続いてるだけや。」
というものであった。

その返答を聞いてすぐ、頭の中でずーっと梅田が続いている映像を思い浮かべ、しばらくして「そんなら確かに行かなくていいや」と思い至った。
今思うと東京旅行を諦めさせるための方便だったようにも思うが、いずれにせよ以降、父に東京へ連れて行けとせがむことは無くなった。

大学生になり初めて東京へ行った時、最初に抱いた感想は
「全然梅田ちゃうやん。」
であった。
まず新宿に降り立ったが、梅田なんかよりも圧倒的に規模が大きい。
それに、東京の主要な街を回ると、それぞれの街の個性が見えてくる。
子供の頃に想像した「ずーっと梅田」とは、当然ながら全く別物だった。
良い意味でイメージを覆された後しばらくは「また東京に行きたい!」と思っていた。

ある時、就職の都合で東京へ行くという話が持ち上がった。
自分の答えは「もちろんNO」だった
のだが、しかしどうもその根拠が自分の中で判然としなかった。
合唱団が続けられないから?
友達に気軽に会えないから?
大阪に愛着を持ってるから?
そのどれもが正しいのだけれど、全部を足しても「今の気持ちの総和」に少し及ばないような気がしていた。

その時ふと父の言葉を思い出し、自分の根底から「ずーっと梅田」のイメージを発見した。
それは言い換えれば、東京に対する無機質でモノクロなイメージでもあり、そのイメージはまだ否定されずに残っていたんだということに気付いたのである。

以降、「東京住もうとは思わんの?」と聞かれた際には「東京は住むとこちゃうやろ、梅田に住まんのと一緒やで」と答えている。

もちろん東京にも色んな場所があることは分かっているし、結局難波に住んでいながら自分は何を言っているんだろうと思わなくもないが、一度付いたイメージはそう簡単に変わらないということなのだろうと一応は納得している。

父はしばらくしてサラリーマンを辞め、フリーランスで働いていた。
その後家族の元を離れ、現在は消息を絶っている。

実際のところ物心ついてからの父はそのほとんどをフリーランスとして過ごしており、父のサラリーマン姿などは全くと言っていいほど記憶に残っていない。
それでも父がサラリーマンとして出張していた姿を思い出すのは、それが自分にとっても父にとっても「新たな世界との出会い」だったからなのだろう。

出張帰りの父の姿や当時の土産話を思い出すたび、自分の中に父の姿や思想と重なるところを見つけ、うれしいようなさびしいような気持ちになる。

出張へ行った父の帰りを、遠くの山に狩りに出かけた父を待つ子のように待っていた自分にとって、父の話は世界を開く物語のようであった。
そして、そうして思い描いたイメージは、たとえ実際に同じような体験をしたとしても失われることはないのだと思う。

もちろん、父と自分は違う。
スーパードライしか飲まない父と違い自分はエビスを選んだし、東京は「ずーっと梅田」などではないとも思った。

しかしながら、やはり東京には住みたくないと思うし、山ちゃんの手羽先がビールに合うことに異論はないのである。

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