おかあさん、おかあさん。2
自分にとっての母は、「大きな母」だった、たぶんそうだった。
過去形で書いてみて恐れを感じている自分がいる。
過去形を一度使わないと、ものごとの棚卸(たなおろし)というか、ふりかえりというか、客観化というか、そんなことができないのに。
なのに、過去形を使ったら自分が何かをうっちゃり投げてしまったようなそんな恐れ。
「というか、というか、というか」
と、そのものごとに当てはまる言葉をラフに複数に当ててみるといいよ、と教えてくれたのが、ほかならぬ母で。
ともかく過去形を使って整理しようとしたことは、
震災の日から1年ぐらいたってやっと、
「あの日はひどかったわ、客先の社員さんと家族と、お子さんたちのことも延々とやって、シニアが ”あなたも家族があるから、もう帰っていいよ” なんて恩着せがましく言ったのが夜八時半だよ。あんたも嵐もまだほんとにちびっちゃかったのに、お母さんは仕事をもらえなくなるのがこわくて、 ”ごめんなさい子供が小さいので帰らせて” って言えなかったわけよ。もうほんとにひどかったわ。失うものがないってのはほんとにふんぎりがつくことでさあ、失ったら大変になるな、って恐ろしく思うものがあるってだけで、もう何にも言えなくなるわけよ、ひどかったわ」
母は何に”ひどい”という冠をかぶせているかというと、境遇というか自分の落ち込んだ状況というか、それに対して無力な自分自身について”ひどい”という。シニアコンサルタントがひどい、とか、母が自分の事情を表明したら陰口をたたく同僚がひどい、とか、あれこれおしつけてくるチーフコンサルタントたちがひどい、とか、アングリーコントロールができなくて糞便をまき散らすがごとく癇癪を暴発させる事務長がひどい、とかを直接言うのではなくて、それらのことをハンドリングできない自分が ”だめだわ” ”ひどいわ” という。
書いていてふと思ったのだが、それは母には荷の重かったことだろう。
いち経営コンサルタントとして 「 社長は ”ロンドンのバスが赤いのも、バナナが黄色いのも、自らの責任の範疇” 」「だからそれを支えるコンサルティングを行う以上、同じように ”外的要因は自分の対処ー距離を置くか、逃げるか、対策するかー” の範疇」 というモットーを体にたたきこんでしまった母には、その高い基準は業務のツールとして無意識に必要だったのだけれど、
でも
「あの人が悪い、あのことさえなけりゃあ」
と、ほんとに気軽に何の考えなしに言えてしまう人々より、ずっとずっとしんどかっただろう。
悲しい母を持ったものだ。
「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!