観想的生活
私はどうしてここまで生きてきたのか。
あなたたちはどうして私と出逢ったのだろうか。
未完成な本物と、
嘘のない偽物を抱え続けてかれこれ22年間。
自分が好きでいられる人間でありたいと願い生き続けるがあまり、
うっかりそこから逸れてしまいそうな時、
私は目に見える“悪事”と捉えるものから竄れるために、
目に見えない悪事を働こうとしてこなかったと胸を張って言えるだろうか。
私の心はきっと濁っている。
俗念で澱んでいる。
それはきっと私の文字にも現れている。
そんな私になぜあなたたちはすてきな言葉をくれるのか。
瞳の奥はきれいだと信じてくれているからだろうか。
たしかに私はこれからも美しいもの、
清らかなものを見続けたいと思っている。
たとえ心が濁っていても、
清く、優しくあること、それ自体を求める心は純水であると私も信じたい。
朝起きてから眠るまで、
一日のうちに何度心の中に怒りを産み、何度選択の後悔を産み、何度その気持ちを隠すために嘘をついているのか。
そして、生まれてから死ぬまで、
一生のうちに何度この星で鳴らされ続ける音色に救われ、何度花と空と土の優しさ包まれ、何度それらを愛おしいと想えるだろうか。
せめて心は、
美しい言葉と、清らかな人、愛おしい自然のそばに置くようにしたい。
そして、
そんな環境もまた自分の心をうつしたものであると、
五感を研ぎ澄ませて受けとっていこう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?