誰よりも幸せになって

2019年4月4日(木)、オメでたい頭でなによりワンマンライブ@マイナビBLITZ赤坂、参加された皆さんお疲れさまでした!未だにこの呼び方慣れないのでBLITZで統一しますが、一晩経って色々溢れてきてしまったので、Twitterにも諸々書いたのですが改めて書き連ねたいと思います。

まず4年前だとか因縁の場所だとか椅子がどうとか、それを聞いても何のこっちゃっていう方もたくさんいると思います。赤飯さんもMCで話していたけど、きっと当時その場にいた人はほとんどいないだろうし、半数以上はそのことを知らないだろうし、でも「それでいいと思う」っていう話。ただ、なかったことにはしたくないということと、報われた想いがあったということはどうしても残しておきたい。今更書かなくていいのにって思う方もいるだろうけど、ざっくりとですが書かせてください。当日のライブで赤飯さんが話してくれたことはこちらのライブ映像でも聞けます。

2015年8月13日(木)、オメでたとは違う形で(当時赤飯さんが活動していたバンドで)BLITZでワンマンライブがありました。この日は赤飯さんの誕生日当日。このときから赤飯さんは、汗だくで暴れられるライブがしたいってずっと言っていました。当然この日もそんなライブを目指して、参加する側も同じ気持ちで当日を迎えて。ところがその日のフロアにはパイプ椅子が並べられていて、赤飯さんもそれを当日知らされたようでした。当然、椅子があったらやりたかった汗だくで暴れられるライブができない。赤飯さんは納得いかない表情で首をかしげながら歌ってて、あのときのピリついたステージは今でも忘れられない。そこで1曲目を歌い終わったあとに「これは俺がやりたいライブじゃない」という言葉に繋がります。4年前のことなので言っていたことはニュアンスで聞いてほしいんですが。そのあと並べてあった椅子を片付けろ!→座っていた客席のみんなで結束バンドを外して椅子を畳み、バケツリレーのように椅子を壁際に片付ける→スタンディングになったが柵もないため最前はロープが張られているだけ。一歩でもこのロープを超えたら即ライブ中止が言い渡される。こんな流れでした。

参加していた私の印象としては、スタンディングになってからのフロアの盛り上がりはすごかった。解き放たれた感じ。ただ、楽しいだけではやっぱりいられなくて心配で心配でこのあとどうなっちゃうんだろうっていう不安もずっとあった。このままライブが終わってしまうんじゃないかと思うくらいの空気は今でも頭に残ってる。このことがあって、その日のライブの最後に赤飯さんが「(ここの会場は)もう使えないかもしれないけど」って悲しそうに笑いながら、深々と頭を下げてくれていました。

そして4年後に繋がるわけです。

4年前に椅子が並べてあった経緯は察することしかできないし省きますが、先日のBLITZは平日にもかかわらずSOLD OUT。椅子なんかもちろんありません。並べるスペースなんかないくらいたくさんの人がフロアにいたんだよ。ね、最幸の反撃でしょ。

冒頭で書いたことに戻りますが、このことを知らない人が大半の中で、赤飯さんもここまで具体的には話す必要ないと思っているであろうことを何故今書きたかったのかというと、今が一番だと思えるからです。先日のライブがなかったらずっと書けなかったかもしれない。仲間内で笑って話すことはあったけど、笑って話せることがどんなに嬉しいか。当時一緒にいた人達は私の周りにもほとんどいなくなってしまったし、でも「それでいい」んだと思うんです。赤飯さんも話していたけど、きっと今笑えているならそれでいい。赤飯さんはたくさん笑っていたし、とても頼もしくて力強く歌ってくれていた。そして、この場で報われた強い想いがあったということだけでも知ってほしかったんです。

赤飯さんはオメでたとして活動を始めてから、アウトプットの仕方が真逆になりました。それは今のメンバーと出会って、どんなときでも笑っていよう、すべてをオメでたくポジティブに変換して発信しようという決意の表れ。でも、見えないところではオメでたメンバーそれぞれが抱えるネガティブな感情もしっかり残っている。言わないだけ、見せないだけで、根っこには今まで経験した悔しさ、悲しさ、そういう気持ちがきっとあるのだと思います。その感情をポジティブに変換してこのバンドに託して届けてくれているという感覚がずっとある。私達へのメッセージでもあり、メンバーそれぞれに向けての想いの還元のような。

赤飯さんが「(オメでたの)メンバーには頭が上がらない」って話していたけど、自分の居場所を作ってくれたこと、そのきっかけを与えてくれたこと、手を差し伸べてくれたこと、共に歩んでくれていること。そういう想いの渦が見えたような。歌うことを辞めてしまうんじゃないかと思うほどヘイトにまみれていた赤飯さんに歌い続けるきっかけを与えてくれたのは間違いなくオメでたのメンバーであると思うので、感謝でいっぱいです。ただ、当時の赤飯さんの歌やライブを否定するつもりは一切なく、そのときに見せてくれるベストを受け止めてきたつもりです。だからこそ今も赤飯さんの歌を聴き続けたいと思っているので。本人にしか解らない想いがたくさんあるだろうけど、無駄なことは一つもなかったと言えるのは、今が一番だと思えるから。ここに着地します。あのとき楽しかった記憶をなかったことにしないで、って思うこともあったけど今の彼らを見ているとそのときの私達の記憶や思い出ごと守ってくれているような感覚。それがなければ今に繋がらないから。だからこのバンドが好きなんです。

4年前のライブに参加していた人達は、それぞれが引っかかっていた想いがきっと消化できたんじゃないかな。当時のTシャツとかタオルを身につけて、それぞれが連れてきた想いがあったから。オメでたのワンマンなのに昔のグッズ身につけてくるのはどうなのーっていう声もあるかもしれないけど、オメでたならそれも許してくれる気がするんです。それぞれの大切にしている想いに寄り添ってくれるバンドだから。そしてこの経緯を知らなかった人達と一緒に同じフロアで一つのライブを楽しめる空間を作り出せたっていうのが最幸の反撃のゴールだったと思います。

バンドとしてはこの場を通過点だと言ってくれたので、まだまだ高い天井目指してたくさん楽しいことしましょう。出会ってくれたみんな、いつも名前を呼んでくれるみんな、泣いている私に手を差し伸べてくれるみんな、いつもありがとう。

そしてオメでたい頭でなにより。一人一人を主役にしてくれて、居場所を作ってくれてありがとう。私達を肯定してくれるように、オメでたが見たい景色を守っていきたい。私は、届く形での応援をしたいとずっと思っています。オメでたをもっと知ってほしい、そう思ったときに私は気持ちを言葉にして伝えたい。それが誰かの何かを動かすきっかけになれることを願って。ここまで読んでくださってありがとうございました。また笑顔で会おうね。

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