性愛1

初めて女の子が傷つくのを見ているのが好きだと思ったのは何歳の頃だっただろうか。幼い頃の私の目には画面越しのヒロインが悪役に攫われ、涙を浮かべるさまが映っている。もちろん、お決まりの展開では、後からヒロインが恋い慕う男の子が助けに来て、二人は無事に結ばれるというわけである。この展開がどうにも嫌で仕方がなかった。人形を並べ立てて遊ぶときには、ヒロインの好きな男の子が助けに来る前に、ヒロインは悪の手に堕ちてしまうようにした。そちらの展開の方が幼い私の心を捉えて離さなかったのだ。

実際のところ、女の子が泣き叫んでいたら、私は助けようとすると思う。なぜならそれは現実だから。けれど、ある性的嗜好を持っている人は死にゆく人々を度外視して、災害の映像などを見て恍惚を覚えるという。幼い頃の私にとっては被虐の映像がそれだった。

初めて、成人年齢を対象とした大人向けのビデオを見たときのことをなんとなく覚えている。女の人が涙を流しながら何かを叫んでいて、人形のような男の人たちが無言で取り囲むものだった。何がきっかけでそのビデオを見たのかは分からないけれど、限りなく本物に近く取られた強姦の映像だった。幼い頃の私は可愛くもそれが本当にあった事件のものなのだと思い、自己嫌悪に陥った。私が自らの性的嗜好に自己嫌悪を覚えるとすれば、それは性欲そのものに対してではない。誰かの不幸なイメージが自らの欲求の充足につながるということに対してである。

あくまで私は、実際に行為に及ぶ及ばないは別にして、他者から性的な目線で見られることを嫌だと思ったことがない。近親者を除いて。一度父が私と同じくらいの歳の、高校生のふりをした女の子のビデオばかり借りていたときは嫌だと思ったので近親者には適応されないのだ。けれど、それ以外の男の人は何歳であっても(さすがに若すぎる男の子は対応に困るけれど)、仮に性的な発言をされても、性的な視線を向けられたとしても気持ち悪いと思うことがない。もちろん、これはあくまで私個人の感覚に過ぎないのは明示しなければならないけれど。

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