性愛3

幸せそうな性行為というのが、どうにも受けつけない。むしろ気持ち悪いとさえ思ってしまう。理由はない。

支配するかされるかという二極構造を性行為の中に見るのが好きだ。純粋な幸せが快楽に繋がることが果たしてあるのだろうか。私の中にあるとすれば、それは好きな人を支配する、または好きな人から支配される幸福感から来る快楽である。

最近は努力しているけれど、性行為の中で恋人らしいことをあまりにされると冷めてしまう。できれば不能にならない限りで乱雑に扱って欲しい。そうして、飽きたら、恋人がどこにも逃げられないようにしたい。何かを支配し、支配されること。何かに溺れること。

女の人が泣き叫んでいるのを見るのが好きというのは、特別珍しい性癖というわけでもないし、私の性癖の全てを表すわけでもない(いずれにせよどれも倫理的とはいえないけれど)。しかし、加虐と被虐、及び自己との関係は時折、自己嫌悪に陥るたびによく思考するので、noteに書き連ねてみた。生まれながらにこの考え方なので、気をつけて書いたつもりだけれど、表現を損なっている箇所があるかもしれない。ただ、私は私の異性に対する、性に走る姿が可愛らしいという感情と、自身の貞操観念のなさ、加虐と被虐について、少しばかり書いてみたかったということだ。

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