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改めて自己紹介

こんにちわ。高良です!今日は、僕のことをより知ってもらうためにも改めて自己紹介をしていきたいと思います。

僕は現在大学4年生で、同志社大学のサッカー部に所属しています。

そんな僕のこれまでの経歴についてお話できればと思います。

沖縄育ち

僕は、沖縄県に生まれ、本島の中南部に位置する沖縄市という所で高校卒業までの約18年間を過ごし、穏やかな環境の中でのびのびと育ちました。

沖縄から離れてしばらくは、あんまり沖縄感を出したくないなという気持もあって、話し方も気を付けたり(そのまんまの話し方だと通じないこともあるので)していたのですが、いまではあんまりそんなこともなく、むしろ自分が沖縄出身であることに誇りをもっていますし、いずれは沖縄に恩を返せる人間になれたらなと思っています。

沖縄に関しては僕にとって特別なところなので、このnoteを通じていろんな魅力を伝えていけたらなと思います。

サッカーとの出会い

さて、僕のこれまでの人生で最も時間を費やし、大事にしてきたサッカーについて話していきたいと思います。

僕がサッカーを始めたのは、小学校4年生のころ、当時同じクラスだった友人に誘われたことと父がもともとサッカーをしていたこともあり、地元のサッカーチームに入ることを決めました。

それから中学、高校と、チームがあまり強くなかったことで比較的試合にはよく出してもらっていました。そこでサッカーの楽しさのようなものを味わえたことで、ここまでサッカーを続けられたのかなと思っています。

そんな感じで特別大きな挫折を味わうこともなく、ちょこっと自信もついていたことで、いつしかレベルの高い環境の中でサッカーをしたいという気持ちは大きくなり、大学では沖縄を離れサッカーを続けることを決めました。

大学サッカーで味わった挫折

と、大学にはいるまで大きな挫折もないまま「まあなんとかなるだろう」という僕の甘い甘い考えはすぐに打ち砕かれ、入部してすぐに僕は一番下のチームで試合に出られない日々を過ごすことになります。

僕なんかよりも上手いうえに、僕よりも努力してきた人たちの中に身を投じることで僕が下の方に所属するのは当然のことで、客観的な視点で見れば何ら普通のことだと思いますが、当時の僕にとってはとてもショックな出来事でした。

そんな日々の中でも希望は持ち続けていたし、うまくなりたい、這い上がりたいみたいな気持ちは変わることはありませんでした。

諦めずに頑張ることで、少しですが下のチームで試合に出ることができるようになりました。でも、試合にでることができても頭の中では「ミスったらどうしよう」とか、「また試合に出れなくなったらどうしよう」という感じの自信のないままサッカーをしていたので、結局ちょっと出たらその後長い間出れなくなるという事の繰り返しでした。

こうして自分の中で何も変化を起こせないまま気が付けばラストシーズンも下のチームで迎えることになり、気が付けばもう大学サッカーが終わってしまう。これが僕の今の現状です。

僕はまだ何も成し遂げていないですし、人にどうこう言える立場でもありません。ですが、これまでのnoteでも書いてきたように、これからも僕が行動し続けることで、僕の姿が誰かの力になれるような発信を行っていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。






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