神様をやめた魔法使い【フィガロについての解釈2】
2年前、神様だった魔法使いについて以下のnoteを綴りました。
今回、魔法使いの約束メインストーリー第2部18章にて、神様だった魔法使いは遂に神様をやめました。やめた、は言い過ぎかもしれませんが、少なくとも2章19章を経て、フィガロは大きく変わりました。
今回は2章にて明らかになりつつあるフィガロの胸中と心境変化について、解釈を垂れ流してみようと思います。
※ネタバレや個人の妄想・願望も多く含まれます。できる限り公式情報は拾っているつもりですが全て網羅できていない場合もあります。公式との齟齬がある場合はマシュマロなどでこっそり教えてくださると嬉しいです。マシュマロはこちら
フィガロの書
メインストーリー2部では、13章からフィガロの書が始まります。2年前に解釈していた部分と被るところも多々ありますが、2章の台詞を引用して綴らせていただきます。
そんなことを言うならプレイヤーにもフィガロの目を通した話をしないで!と叫んだのは良い思い出です。
フィガロ目線で語られる物語は、簡素で、分かりやすくて、とてもフィガロらしいものです。
責任の無い気軽な関係が好き。けれど一方で、フィガロはかけがえの無い自分だけのものも欲しがっている。同じことばかり繰り返す世界にうんざりしつつ、そんな自分にはもっとうんざりしている。矛盾の中に、いつも彼は生きています。そして彼は賢さゆえに、それを自覚しています。
400年間1人の魔法使いを探し続けたレノックスのことを愚かだと思う反面、レノのような男がいるからこの世界には価値があるように思える。
弟子だったファウストのことを考えると胸が痛む。失った故郷を思うように。
彼は、弟子に落胆することはありませんでした。ファウストは理想通りで出来すぎた子だったのです。人々はフィガロを神として崇めるばかりに、彼が1人の魔法使いであることを忘れてしまっていました。けれどもファウストはそうではなかった。
フィガロはファウストを育てることが天命であると思い、人生の意味を見出したことに喜びを感じました。2000年の中でたったの1,2年の話なのにとても嬉しそうに語るフィガロ、本当にいじらしい。
そこまでの想いを抱かせてくれたファウストに対し、自分の方から手放してしまったにもかかわらず、フィガロはまだ甘い未練がありました。
魔法舎で再会してからは、ファウストの要望通り距離をとりつつ、時々ドアの間に靴を挟むような関係を続けています。ぐいぐいとアプローチをするレノにコンプレックスを抱きつつも、それはフィガロにはできないことでした。
ここでチレッタについても触れてくれていますね。フローレス兄弟の母親。彼女は最後までフィガロを信用していなかった、ミチルを殺すのではないかと疑ってかかっていた。
フィガロに対して、チレッタは北の魔法使いとして接していたのでしょう。ちなみに、自分の顔が良いところや好かれてることを自覚してるあたり、めっちゃ好きです。恋人になってないところも好き。悪友であってほしい。
ルチルとミチルには情は抱きつつ、予言の子ミチルには常に警戒。双子の予言は外れないが、約束された悲しい未来を少しでも遠ざけたい。けれど、いざという時は自分が動く決意をしています。どうやらオズ相手にも同じことを思っていたようです。ただ彼の自由を制限することに思うところはあるようで、ミチルにどう接すれば良いか、フィガロはいつも悩んでいるようでした。
ここで新しいキャラクター、アイザックが登場します。
彼は北の魔法使い。ブラッドリーほどではないにしろ脅威の持ち主です。彼は学習が好きでフィガロを慕っていましたが、短気なところがありました。つまり、危険人物というわけです。
けれども危険というだけならオズやミスラも、予言のあるミチルだってそうです。
大衆の安全の前に、危険な個人は排除されるべきなのか。それとも危険な命にも、平等に自由を与えるべきなのか。
最大の幸福か、平等な幸福か。
フィガロはいつも自問しているのです。
14章6話でも引き続き、フィガロ目線で語られるシーンがあります。メインは元相棒のお話でしたが、ここでもフィガロの性格にまつわるキーワードが隠されています。
幼い頃から社会貢献を求められていたフィガロは、どうしても自分の幸せを受け入れられずにいました。
愛について
これは、フィガロの過去と本質に切り込む章でした。今まで私のような他人が解釈で埋めていたところを、フィガロ自身が話してくれた、重要な章です。
昔、フィガロは愛を優しさだと信じていました。故郷の村で「愛されていた」自覚のあるフィガロ。神様にたくさんの捧げ物を送り、尽くし、祈り、愛することで、彼らは心満たされていた。「──それだけで幸福が約束されていると信じていた。それはどれほどの安堵だっただろう。」
しかしフィガロは意図せず、この信頼を打ち砕きます。雪崩から故郷を守ることができなかったのです。民を守護する神様から、根無草の悪神になったと彼は言います。
おそらく、信用を捨てたのではなく幼い身では魔力が十分でなく、加護できなかったのが真実でしょう。けれども「優しくできなかった」「信用を無碍にした」という事実はフィガロを蝕み、彼は"自分"を失っていきます。
彼は自分のことを「全てに無頓着で情がないのかも」と言っていますが、私は真逆だと思います。全てに考えを巡らせ情をかけているけれど、その感情の質ではなく、人の数、世界の大きさ──多くの幸福を選択してしまうのです。(前述の通り、それが最大幸福か、平等幸福かは答えの出ない問いですが、フィガロは危険因子を取り除く最大幸福を取りがちだと思います。)
自分は卑しいもの。けれど、尊いものでもある。誰だってそうです、人間は沢山の側面を持って、たくさんの矛盾を抱えている。フィガロは少し「顔」の数が多く、それらを客観的に理解できるほど賢い、というだけ。
では、愛とはなんだろう。
フィガロはここで「救われるはずなのに救われない」と話しています。何を求め、何を与えれば救われるのか。
フィガロは、救われたがっています。
ではそれは、一体何から?
絶大な魔力を持ち、顔も広く、なんでもできそうに見えるフィガロは何から救われたがっているのか。私は、おそらく、迷子になっている自分に道を示してくれる人を探しているのだろうと思います。
「答え」を、教えてほしいのだと。
フィガロにとって、孤独とはオズでした。
強大で、哀れで、誰からも世界からも愛されず、彼もまた誰も愛していなかった。
けれどオズはアーサーと出合い変わります。
「オズはアーサーを愛している、だから石にできない」と語りつつ、フィガロ自身は大切な人の命より世界を取ることを愛だと語ります。(その後に、それは間違っているのかもと付け足しながら。)
そしてここで、最大幸福の約束の要因は何よりも優先された神への愛の話だということが判明します。
神様であることを望まれ、神に向けられた愛が正しさだと信じている。
だからこそ、彼は世界を犠牲にできない。
19章7話のカインの回想にて、「正義は一つではない」ことが語られます。
いくつもある正義の優先順位も人によって、気分次第で、異なってしまうし、さらには正義を見せる手段も違ってきます。
おそらくフィガロにとっては常識のようなことでしょう。世の中には人の数だけ正義がある。けれどその中で何が「最善」「正解」なのか、出るはずのない答えを探してしまっているのではないでしょうか。
フィガロにとって、今の時点での「最善」は「最大幸福」だと思われます。自分の大切な人の命より世界を取る、と言うのですから。
けれどもこの考えに、彼自身が問うています。
神様の立場のことを「この世の管理者」と名づけ、疑問を投げかける。自分がただの1人の魔法使いだとわかっているけれど、神様としての役割を投げ出した幼い自分が、まだずっと忘れられないのです。
全てを司るような思考を持つ一方で、フィガロは自分の無知を指摘されるのが好きでした。
自分の欠陥を指摘されることで、自分が神様とイコールではないただの人間だと思えるからでしょう。
彼は恭しくされたい一方で軽んじられたいという思いがありました。一見矛盾するようなこれらの感情ですが、「尊敬はしているが、同じ目線に立って無知を指摘してくれる弟子や生徒」の存在が埋めてくれるのでしょう。
フィガロはいつだって脳をフル回転させています。相手の顔色を伺い、状況を把握し、何が最善かを導き出す。いつしかフィガロRTAという言葉がありましたが(1周年)、そりゃあこれだけ考えていたら…。けれど、こうして考えて悩むフィガロが、私は好きです。
幸せとは何か
16章9話にて、フィガロは「幸せ=賢さ=強さ」と説いています。けれど18章5話では、「愚かさこそが強さでは?」と自問しました。愚かで、楽観的に輝く未来だけを信じられたら、不安など抱かなかった。楽観的思考か、悲観的思考かの差もあるのでしょうが、賢い方が悲観的なものが目についてしまい、不安が付き纏います。
ファウストを弟子にした時のことを、フィガロは「救済の日」と綴りました。それは、そこに楽観的な幸せのみがあったからでしょう。けれど彼はすぐに「用無しの呪い」を思いだしてしまった。
自分が思うほど、自分は思われていない。
だから用無しだと、捨てられてしまう。
この自己評価の低さはどこから来ているのか不思議だったんですが、やはり故郷の思い出からのような気がします。思われたって無意識に自分は裏切ってしまうかもしれない。守ってやれないかもしれない。だから、信用してほしくない。それに拍車をかけたのが、世界征服の中断でした。オズがあっさりと中断して手を切ったことを引きずっているのでしょう。そう言った心の底の願いが、「自分が思うほど思われていない」という言葉に表れてしまうのだと思います。
フィガロにとって、レノックスはありのままでぶつかることのできる、貴重な存在です。18章5話ではファウストの危機があったことから、レノは冷静を失っていました。
レノにとっては、フィガロが「優しくするくせにすぐに手を切る薄情者」に見える部分もあるのでしょう。
それに対する「2人とも救ってやりたい」というフィガロの台詞は本心です。ですが、救ってやりたい以外の感情も持ち合わせています。
ファウストに対しては、用無しの呪いが。
アイザックに対しては、危険人物の手綱を握っておきたいという狙いが。
フィガロの周りが全員フィガロと似た思考回路を持っていれば察してくれることもあったのかもしれませんが、現実はそうではない。
けれどそのおかげで、フィガロは新しい思考を始めるきっかけを得られるのです。
自分の先が長くない。だから不幸な思い出は作りたくない。そうしたら、幸福な思い出づくりも避けてしまっていた。これ、フィガロの中で新しい気づきだと思うんですよね。怖がってばかりでは良い思い出もできないから、結局後悔するかも、という気づき。
400年前の幸福に、愚かに酔いしれていればよかった。それは今でも遅くないんじゃないか。あえて手ぶらで引っ掻かれて、生傷を負う覚悟で伝えれば、いいのかもしれない。賢さや愚かさの度合いなど関係ない。彼は自分の手のひらがまだ温かいうちに、「自分が心配だったからファウストの元へ向かう」という選択を取ったのです。
後悔をしないために。
「もう置き去りにはしない。 」
もう、が指してる1度目の置き去りは、400年前に立ち去ってしまった時のことです。
2周年の時、初めてフィガロは「400年前、ファウストにとっては突然破門されたことになっている」と気づきました。それまでフィガロは自分が捨てられた側だと思っていました。
自分はお客さまで、ファウストの隣にはアレクがいる。いつか捨てられるかもしれない。だから先に姿を眩ました。そのことに対して、ファウストが傷ついているとは思っていなかった。革命の成功が見当違いだったから恨まれているのだと思っていた──
でもファウストは見捨てられたことに傷つき、自省していました。最初に再会した時こそ刺々しい物言いをしていましたが、段々とかつての師匠の面影を見ることで、更に自分が再度指導者になったことで、もう一度フィガロを頼りたいと思い、伸び代を聞きに来たのです。
幸福な思い出づくりもしよう。生傷を負ったって良いじゃないか。生きてる間に、後悔しないように。そう思った矢先──余命のせいか、それとも傷だらけのファウストを見て気が動転したのか──フィガロは魔法を使えなくなりました。
失われた故郷に似た吹雪の中で、力を持たない人間同様寒さに凍え、北の魔法使いアイザックに殺されかけます。
「なんの力も持たない、ただの人間が、北の魔法使いに勝てるわけがない」、めちゃくちゃ悔しいですが本当に好きな一文です。聡明なフィガロが考えを巡らせた結果が「敵わない」。おそらく彼は初めて「死」に直面したのではないでしょうか。じんわりと身を蝕んでゆく優しい恐怖ではなく、瞬時に狩られる冷たい恐怖。そうしてフィガロは「諦められない」という感情を手にするのです。用無しの呪いや他人の思いを考える暇もなかったフィガロは、自分の意思で諦めたくないと願ったのです。
アイザックを宥めるためにフィガロはこのような台詞を言いました。これはフィガロ自身が心境の変化を感じる一文だったと思います。私にとっても意外だったし、本人も軽く絶望したと言っています。
魔法使いにとって、マナ石を食べることは弔いにも等しい行為です。1人で死にたくないフィガロは「自分が死んだ時、せめて誰かが自分の石を食べてくれれば、ひとりぼっちじゃなくなるのでは」という願いがあった可能性もあります。けれど半ば、その願いを否定したことになります。
生きている間に、誰かと関わりたい。
今までその願いがなかったわけではないですが、明確にそう思うようになった訳です。
「死ぬ前に幸福な思い出を作りたい。生きているからこそ価値がある。」
フィガロの願いは、神様ではなく、人間のそれと重なるようになりました。
これは自己解釈ですが、石を食べてもらうことの意味として、一緒になるという意味だけでなく、「忘れないでもらいたい」ということも考えていると思います。フィガロ沼の発端・ひまわりのエチュードでは、ファウストがアレクのことを忘れていない事実を痛々しいほどに引きずっているので…。
死を知り、愛を知る
吹雪に見舞われて、痛みも感じないほどになってしまったフィガロは、死を目前にして失われた故郷の民たちに想いを寄せていました。彼らはこんな風に、抗う術も持たず、神様──フィガロに想いを寄せて、祈り、信じ、この世から去っていったのだと。
そんな時目の前に現れたのはレノックスでした。
彼はフィガロが魔法を使えない状況にあることを知りません。ファウストのことを託し、東の魔法使いを探しにいってしまいました。
魔法が使えないというイレギュラーの状況は、フィガロ以外知り得ません。
そんな中、ファウストは安堵の表情を浮かべていました。
かつて救えなかった故郷の民たち、かつて見捨ててしまった愛弟子。
彼らは、利益や損得など関係なしに、ただただフィガロのことを信じている。信じて、安心している。死の淵に晒されながら、フィガロは、やっと、「彼らの眼差しに応えたい」という自分の意思を見つけたのです。
神様としてのフィガロではなく、1人の魔法使いとしてのフィガロの意志を。
アニバーサリーブックの都志見先生のコメントを覚えていらっしゃるでしょうか。
──フィガロは人に寄り添い続けた魔法使い。あらゆる人の営みやコミュニティに属し、結成から熟成、崩壊を何度も見てきた。長寿で優しいけれど、愛することを知らない人物で、何かを愛する情熱を知って死にたいと思っている。
2000年前に故郷の民を失って絶望した自分も、400年前に愛弟子を見捨てて後悔している自分も、そして2000年前の幼い神様に囚われていた今の自分自身も、ようやく救うことができたのではないかと思います。
これは私の大好きな北の魔法使いの顔をしたフィガロ。
14章4話にて双子に対しこんなことも言っていたフィガロですが、
彼はちゃんと北の国も愛していて、そして北の精霊にも愛されていました。使役されて喜んでいる精霊を見てこちらも嬉しかったです。
そして彼は、自分の本当にやりたかったことを、やっと知ることができるのです。
名声も、自尊心も、居場所がなくても良い。
愛する人を守りたかった。
ただ、彼らの笑顔を見たかった。
今まで居場所や役割にこだわってきたフィガロの心持ちが変わった瞬間だと私は思います。
2000年生きても分からなかった愛。私は、フィガロは一生愛を知らずに死んでしまうか、死ぬ直前に愛を知りそのまま死ぬのではないかと考えていました。
けれども「差し迫った死」はフィガロが今まで2000年生きてきて知り得なかった初めての感覚で、フィガロの価値観をくるりと変えてしまいました。2000年も生きているんだからもう知らないことはないだろう、とあぐらを書いていたところにこんなストーリーをぶち込まれてしまったら、私が狂ってしまうのは仕方ないことです…。なんてものを書いてくれたんだ、都志見先生。ありがとうございます。
こうして1人の魔法使いとして意志を持つようになったフィガロは、今の最善解を探るだけでなく、自らの意思で未来を切り開くことを決めたのです。
人間を知り、死を知り、愛を知ったフィガロは、未来を知ることの恐怖より未来を語る喜びを取る決断をして、自分の愛する人々の安全を脅かすアイザックを殺そうと思った。
神様じゃなくなったフィガロは、全ての民を救うことをやめました。
愛したものたち。幸せになることを願っている。
きっとこれから、これらの望みに真に向き合うことになるのでしょう。「願っていた」と過去のこととなっているオズとの関係性も、動き出すのではないでしょうか。
彼にとっての愛は、愛着を持った人々を守護することであり、かつ彼らの笑顔を見守ること。それは神様と変わりないように思えますが、それを役割ではなく自分の欲求だと認識し、喜びだと感じられることに意味があります。
やっとフィガロが幼い頃からの神様の呪縛から解き放たれたんだという嬉しさと共に、私は神様の役目に囚われて悩み苦しむフィガロも大好きだったので、彼が神様じゃなくなってしまった寂しさもちょこっとあります。
けれどもここから、彼は自分自身の醜い感情とも対面することになるでしょう。そこでまた新しい葛藤が生まれるんじゃないかな…なんて思ったりしています。
さらに、死期が近いことをミスラからは「弱っている」と明確に言われてしまっているフィガロ。北の魔法使いたちも気がついているようですが、果たしてこれから彼はどのように生きる選択をするのでしょうか。これからの魔法使いの約束も本当に楽しみです。
なんと今回は7,000字超えとなってしまいました。フィガロのことは何万字書いても書ききれませんね。
長くなりましたが、ここまでお付き合いくださりありがとうございました!
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