2021/06/19 「すごいてるてる坊主」という概念
漠然とだが、「すごいてるてる坊主」をつくりたいな〜……と6月の頭から考えていた。つくる時間はあるし、つくる環境も整えようと思えばすぐに整えられる。でも、肝心の「すごいてるてる坊主」のアイデアがまったく浮かばず、ただその言葉を気に入ってこねくりまわしている。
「すごいてるてる坊主」というからにはきっとなにかがすごいのだ。もしかしたらめちゃくちゃでかいのかもしれないし、もしかしたら必ず晴れにするようなとんでもないオカルトグッズかもしれない。
ただ、そのアイデアをかたちや実際に用意するものに落とし込もうとした段階で、すべてしっくりこなくて手が止まる。でっかいてるてる坊主は作ったところで「だから、なに?」と間違いなく思う。オカルトグッズの方は面白そうだが、これはどう考えても漫画『ダンジョン飯』の除霊アイテムをパクっているところがあるし、ダンジョン飯より面白く出来る気がしないので却下した。
じゃあなにか、すごくリアルなものは……と思ったがそれの方がよっぽどオカルトグッズだ。首吊り人形は怖すぎる。使う紙にこだわりを見せてもあまり自分がワクワクしない。
とにかく楽しいビジョンが見えてこない。言葉に反しここまで見えてこないとは思わなかった。「すごいてるてる坊主」を具現化したいのに私の中にあるものでは「すごいてるてる坊主」のスケッチさえ出来ないのだ。
たぶん、今回の件では「すごい」という言葉が悪い。たとえばこの「すごい」を「美しい」に変えただけでも私がつくるべきてるてる坊主の姿は解像度が上がる。「哀愁漂う」でも「ファンシーな」でもなんでもいい。方向性がぐっとわかりやすくなる。
「すごいてるてる坊主」が難しいというよりは、「すごい」という概念が難しいのだろう。「すごい」という言葉は使う頻度のわりに中身が曖昧なのだ。曖昧というか、なんかもう範囲が広過ぎてただ「すごい」だと出てくるものが多過ぎるんだわ。ぼや〜っとするんだわ。
これはある種制限がなく自由な状態だが、自由はアイデアを逆に押しとどめるものだと思う。制限がある方がアイデアは出しやすい。制限の中で工夫しようとするからこそ、思考は鋭くなる。仕事にしても「好きなようにやっちゃって〜」というような注文が一番困るし、ましてや夜ご飯に対し「なんでもいいよ」なんて言っちゃあいけないのだ。わかっているけれど夜ご飯に関してはまあまあ言ってしまう。本当になんでもいいと思ってるから。わりとなんでも食べるからね。
とにかく、アイデアはある程度の制限の下にあった方が出やすい……と再確認した。「すごいてるてる坊主」も、もうすこし絞ったら作れるのかもしれない。ただ、完成の前に梅雨が終わってしまう気もするけれど……。今日は以上。
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