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【短編小説】はるちゃん


はるちゃんが、ご飯に誘ってくれた。

さいごに会ったのは一年前くらいで、私は転職活動に忙しかったからろくな連絡もとれていなかった。はるちゃんに連絡をとっていいのか、すこし迷っていたせいもある。SNSで見るはるちゃんはいつも楽しそうで、私が知らないようなことをたくさんしていた。旅行、ご飯、好きなアーティストのライブ。サーフィン、夏フェス、ディズニーランドのカウントダウン。それからスキー。

はるちゃんは変なものが好きなのに、人と同じ時間も存分に楽しめる人だ。私は普通の趣味しかないのに、人の中へ馴染むのが苦手で、だからはるちゃんくらいしか今も続いている友達がいないのかもしれない。

息を吐き出す。

はるちゃんのことを考えるといつまでも心臓が落ち着いてくれないらしかった。寂しいとか、楽しいとか、いやな気持ちとよい気持ちとが、交互に私の中でうずまく。

はるちゃんと待ち合わせをしたのは、地元のおしゃれなビアガーデンだった。お店の前で待っていると、色んな人がやって来る。私と同世代くらいが特に多く、連れ立った男女が笑顔で中へ消えていった。ときどき、華やかな声で「久しぶり!」という言葉が聞こえた。テラス席のあるお店で、そこに座る人たちはみんな、ゆっくりとビールを飲んでいる。

「みどり、ごめん、待たせた!」

声のする方を向けば、息を切らしたはるちゃんがいた。肌寒くなってきたのに、はるちゃんはスーツの上着を小脇に抱えて、すこし汗をかいている。それを見て口元がささやかに緩む。はるちゃんだなあ、と思った。

「ほんと、ほんとごめん、誘ったのに遅刻した! いきなりクライアントが来ちゃって……、対応しても間に合うかなって思ったけどむりだった!」

「いいよ、はるちゃん忙しいんでしょう」

「いやいや、みどりの方こそ転職たいへんだっただろ。お祝いするつもりだったのに……」

「そうだったの? じゃあ、たくさん奢ってもらおうかな」

「おーおー、任せとけ」

「はるちゃん、冗談だよ、今のは」

はるちゃんは私の言葉に目を丸くしたあと、すぐに笑い顔になった。はるちゃんは昔から目尻をくしゃくしゃにして笑う。それに私は安心した。はるちゃんは、笑うのがとても上手だ。

お店に入り、席を案内される。はるちゃんは迷いがないから、お店の人がお冷やをテーブルに置くあいだですぐに生ビールを注文した。私も同じものを指差せば、はるちゃんが二つで、と追加してくれる。

いまだに私は、はるちゃんがそばにいるとろくにメニューも言えなくなる。はるちゃんが、それを当たり前と思ってくれるのが嬉しかった。

「かんぱーい」

おしゃれなビアガーデンでは、生ビールも綺麗なグラスに注がれていた。はるちゃんはビールを飲むとき、必ず、最初に半分は飲み込んでしまう。CMみたいな飲み方だった。私は一口つけてから、グラスをテーブルに置く。そしてお水を一口飲む。この飲み方をしないと、すぐに酔ってしまうのだ。

「どう? 転職先。楽しい?」

「うーん、まだわかんないかも。でも、営業よりは向いてるなーって思う」

「みどりは……、みどりはさ、昔から絵とかうまかったじゃん。文章も上手だったし。オレ、みどりに向いてる仕事だなって思ったよ、今のやつ」

「そう?」

「そうそう。みどりがブログで書いてた小説とか、未だに覚えてるもん」

「それは忘れてほしいかも……」

私がそう言ったところで、どちらともなく黙った。そして二人ともビールを手にした。今度のはるちゃんは、半分のビールをちびちび飲んだ。私と同じくらいのペースだ。

はるちゃんがメニューを机の真ん中に広げ、私たちは好きなものを頼む。私はチーズの盛り合わせ、はるちゃんは生ハムサラダと骨つきのステーキ。やっぱりはるちゃんがすべてを注文して、メニューも端に寄せてくれた。

「はるちゃんは仕事、どう?」

私がたずねれば、はるちゃんははきはきと話しだした。

「オレは逆に営業好きだなあ、やっぱ。やっぱりね。うちの部署個人ノルマないからってのもあるかも。チームで売り上げアップ目指して頑張るの、楽しいなって思う。あと、外回りってちょっとさぼれるときあるし」

「わるい奴じゃん」

「たまにだから大丈夫だって。あとあと、歩いてるから運動にもなる」

はるちゃんが鼻の下を拭う。汗かビールのしずくがついているな、と私も思っていたところだった。指先についた水っぽさに、はるちゃんは恥ずかしそうに首を傾げる。私は紙ナフキンをはるちゃんに渡した。

はるちゃんが無言で指を拭く。私はその指を見て、うすうす気付いていることがあった。でも、はるちゃんがなにも言わないから私だって言わない。はるちゃんは抜けている。私を呼んだ理由が私にもうばれているなんて、わかっていないのだろう。そういう人だから、ずっと好きでいられるのだけれど。

「あー、なんか、たくさん話そうと思ってたんだけどな。いざ会うと気が抜けるわ。みどりって付き合い長いからさ、黙っててもたのしーもん」

「……それは、どうも」

「かしこまるなってー」

「……はるちゃん」

「なあに?」

「なんでもないよ」

店員さんが近づいてくる。チーズと生ハムサラダが届いた。私たちは黙々とそれを食べ、ビールを飲む。食べている間に骨つきステーキも届いて、はるちゃんが切り分けてくれた。私は水を飲む。

このままおいしいものを食べて、楽しく飲酒して、帰りたい。はるちゃんがずっと口を閉じていればいいと願った。

でも、はるちゃんは目が合ったところでまた話しはじめてしまう。

「みどり、カマキリ同好会覚えてる?」

「……覚えてるけど」

その言葉に、私はすこし身構えた。

カマキリ同好会は、はるちゃんが大学のときに所属していたサークルだ。

私とはるちゃんは高校からの仲だ。はるちゃんは体の大きな人で、同じ大学に上がったときはさんざん隣でラグビー部の勧誘を受けていた。はるちゃんは高校でハンドボールをしていたし、ラグビーも、もしかしたら結構合っているのかも、と私は思っていた。でも、実際に入ったのはその変な名前の集まりだった。

カマキリ同好会は、カマキリを飼うことだけを行なっているサークルだ。もちろん、こんな活動に部屋なんて与えられず、もっぱら大学の外、草がぼうぼうに生えた広場で会合が行われていた。普段はおのおのの部屋で飼っているカマキリを、週に一度虫かごで連れてゆき、メンバーと披露しあうのだ。なにが楽しいのか、よくわからない集まりだった。

はるちゃんの部屋に行くと必ずカマキリがいた。私に触らせてくれたこともあったけれど、そのせいではるちゃんのカマキリの頭がもげてしまってからは触っていない。「触ってみる?」という一言をはるちゃんが言わなくなった。

私はその出来事がトラウマだったし、はるちゃんも、自分のカマキリがそんなことで亡くなってきっと悲しかったのだと思う。

あのときのカマキリは、今でも鮮明に覚えている。はるちゃんが大切にしていたカマキリは、なんだかかわいく見えた。

だから私も触ってみたのだけれど、ほんのすこし力のかかり方がおかしかったのか、簡単に頭が抜けてしまった。カマキリは自分の体がなくなったことに気づいていなかった。頭だけになって私の方を見ている様子は、あどけないくらいだった。私はその異質さが恐ろしく、瞬発的にカマキリを床に投げ捨てた……。

さっきまでふつうの生き物だったのに、なにかの拍子で得体のしれない、こわいものになる。はるちゃんにとっての私だって、いつそうなるかわからない。

はるちゃんは私が自分のカマキリを殺しても、呆れることはなかった。今まで、ずっとよい友達でいる。私はますますはるちゃんが好きになったし、私にははるちゃんのような人しかいないと痛感してしまった。でも、はるちゃんに告白は出来なかった。何度も二人きりになったけれど、手を繋ぐことも出来なかった。

「楽しかったなあ、あのときは」

「はるちゃん?」

「……あーっ! やっぱり緊張するな! みどりに、言いたいことがあるんだ」

私はビールを手にして、飲み干し、それでもずっとグラスを握っていた。そうやってなにかにしがみついていないと、指先から崩れ落ちて砂になってしまいそうだった。

「オレ、結婚する」

呼吸をする。はるちゃんに見つからないよう、素早く。でも深く。

「……誰と?」

「それが、カマキリ同好会の先輩なんだよ。一昨年かな……、久しぶりに集まってそのあとから付き合うようになって」

「ええっ、知らなかった!」

「みどりってあんまり恋愛の話とか好きじゃないだろ? だからいつ言おうか迷ってたら、こんな感じになっちゃった」

「結婚式するの?」

「小さいけどな。後でちゃんと招待状渡すけど、みどりも来てほしい。スピーチとかさ、オレはみどりにしてほしいよ」

「任せてよ、いくらでも喋ってあげるよ。はるちゃんの恥ずかしい思い出、たくさん知ってるんだからね」

「いやいや、それは話さなくていいから!」

はるちゃんの言葉が頭に入ってこない。だから思い浮かぶことなんてないはずなのに、不思議なことに口はよくまわった。

「私、はるちゃんの話ならいくらでも出来るよ。変なことだってたくさん覚えてる。きっとみんな聞いていて笑っちゃうよ。はるちゃんのものまねしてもいいな。はるちゃん、知ってた? はるちゃんって、二回同じこと言う癖があるんだよ。そうだ、高校のときの制服あるから、あれ着てってもいいよ。はるちゃんとボタン交換したやつ……はるちゃんが勝手に引きちぎって、一人で笑ってたやつ……」

「みどり、覚えてたんだ」

「覚えてるよ、忘れないよ、はるちゃんのボタン――」

息を飲み込む。はるちゃんがまっすぐに私を見つめていて、その目が潤んでいることに気づいた。

なんで泣きそうなんだよ、はるちゃんのばか。

こんなうすっぺらい言葉に感動しないでほしかった。

今の私は、とてつもなくみにくい。

「――はるちゃんはいい奴だから、絶対幸せになれるよ」

「えっ、ちょっと、みどり! お前が泣くなって」

「ごめんはるちゃん、止まらなくて……」

涙が溢れてしかたがない。鼻水をすすると余計に泣いている感じになるから必死に我慢していた。液体が色んなところから流れている。下を向くだけで、いくらでもしずくが落ちる。テーブルの上にいびつな水玉が出来る。きれいに丸くならないことが悲しい。私みたいだ。

「いいよ、いいよ。ありがとうみどり。みどりの方こそいい奴だよ」

はるちゃんはそう言って笑った。私は頭がくらくらする。ビールのせいだ。ビールのせいにした。机に伏せたらそのまま吐きそうで、なんとか立ち上がる。はるちゃんも立ち上がる。鞄さえ持たずに私を支えた。そのまま、たぶん、はるちゃんは私を連れてお手洗いに向かう。

「はるちゃん、はるちゃん……ごめんね、私……」

「大丈夫だから、昔からだろ? オレが何回みどりに付き添ってゲロ手伝ったと思ってるんだよ」

言葉通り、はるちゃんは慣れた手つきで男子トイレの戸を開けた。私を便器の前に座らせて、大きな手でやさしく背中をさすってくれる。懐かしい仕草だ。

涎を垂らしながら、私ははるちゃんに告げる。

「はるちゃん、結婚って……色々……、難しいね」

「そう?」

「うん、私には……難しいよ」

はるちゃんの顔は見えない。でもきっと、きょとんとしている。あのときのカマキリのように。無邪気に。なにも知らないから。

でも、本当のカマキリは私の方だ。

はるちゃんに告白なんて出来ない。私は体のないカマキリになりたくなかった。ただただ、はるちゃんに投げ捨てられたくなかった。

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