2021/04/10 余力で生きている
今日の目標。眼科へ行くこと。もうすぐ退職するのでしばらく保険のあれこれが面倒だなと判断し、コンタクトの残りも少なかったためとにかく眼科へ行くことを1日の目標にした。朝、眼科が開く時間くらいに向かったので、20分もかからずに検査を終えた。大変満足。
1日の目標をはやくに達成すると、残りの時間は余力で過ごしていると感じる。ひとつのことを成し遂げて満足した頭だから、なにをしても余った時間を楽しんでいる、と認識できる。お得な考え方で生きているなとは自分でも思う。
毎日をそうやって生きていれば、後悔がないのかもしれない。たとえ小さなことでも目標を持ち、それを朝、できればはやい時間に達成すれば、満足感を抱いたまま残りの時間はリラックス出来る。ストレッチだとか筋トレだとか、落書きを一枚でも目標はいいかもしれない。ただ、どうにも出来そうなのにそういった目標は小さなことでもあまり続かないし、目標としたらなぜか途方もなく面倒なことに感じてしまう。不思議な考え方で生きているなとは自分でも思う。
目標を達成する日々であれば後悔はないのかもしれないが、目標の連続は窮屈だ。目標を決めている間は楽しいし、自分はどんなことでも出来る、無敵の存在と錯覚して目標はどんどん大きくなる。最終的に「世の中を本当に良くしたい!」という目標に辿り着くこともしばしばある。でも、小さな目標ですら難しいのだから、それこそ大きなことは目標を決めた数十分後には挫折する。
それでも続けていること。最近ではダイエット。もうすぐ丸二ヶ月経つ。やっと十の位も変わりはじめた。続いているのはゴールの数値(体重)をあまり目標と捉えていないからかもしれない。やらねば、という気持ちは特になく、ただ「これを達成すれれば生活が楽になるな……」という欲の元動いている。楽になることに勝る目標はない。そもそも眼科へ行くのだって、保険証を返した後にあれこれ考えたくなかったからで、今行った方が楽だろうなということが動機である。(もちろん、退職後は国民健康保険に入る。一応注釈)
ストレッチだとか筋トレだとか落書きを一枚だとかは、どちらかといえば楽のためというより自分自身を磨くために近いなと私は思う。自分磨きはどうも続かない。そもそも今の時点で自分に対する期待は満たしているからかもしれない。望むもの、あまりなし。誰もが羨む素晴らしい人生を送れるかはともかく、生きていく分にはもう足りるものを持ち合わせているので、高みを目指す志はない。面倒だ。
1日の目標の後は余力で過ごすと書いたけれど、この考えだとそもそも私は人生もすでに余力で生きているのかもしれない。憧れた姿が過去、自分にあったかも怪しいが、昔の自分が満足するほどには絵も文もつくれるようになってしまった。結婚願望や地位・名誉を望む気持ちもなかったので、こどもの頃の目標というものはほんの数年前に達成してしまった気がする。この、大人になってから達成したい目標が自分の読みたい話で同人誌をつくるだったので、欲のないこどもなのか逆に欲深いのかは謎である。
新しい目標を決めるには余力で過ごしてばかりいた。それに昔よりはすこしだけ物事を知ってしまったので、今から人生の目標を掲げたらそこそこ壮大になってしまう。「世の中を本当によくしたい!」がその一例だ。
でも、世の中は本当によくしたいですね。たとえ小さなことだとしても。そのために思いつくことはさまざまあるけれど、また壮大になっていくので、あと数十分後には挫折するのだろうな。まずはもっと身近なところから考えられるようになろう。以上。
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