2022/08/06 ごはんを食べた

高野さん誘ってくださいよ、という話があったらしく、なんやかんやで会社の人とごはんを食べに行った。

「いや人を使わず自分で誘えや」と思ったのだが、それは私の価値観の話であり、普通はこういうものなのかもしれないな、ということで己を落ち着かせた。

自分がわりとストレートに好きな人や気になる人には声をかけ好意を伝える方なので、こういう、遠回しのやり方はようわからんな、と思う。

そもそも好意があるのかないのかもよくわからないのだが、誘われるということはあるのだろうか? そのわりにわかりやすさを感じないので、本当は興味もないし好きでもないのではないか……と疑っている。単に飾りとして誘われてるだけな気もするんだよな。私がいたとてそんなに盛り上がるわけでもないし。

人の好意はこの年齢になってもよくわからず、なんとなくお互い好き同士で付き合うことになる二人、というのが理解出来ていない。好きなら好きとはっきり言うか、シンプルに、物理的に関係を持つようなことがないとそれを恋とか愛とかラベリング出来ない。直接の話が出ない限り、それは「ちょっと仲が良い人」ということになる。

ただ、会社のその人がこのはっきり言わない、うやむやの、ちょっと仲が良いくらいを目指すような人(ということにしておく)で良かったとは思う。

もしストレートになにかを言われたらかなり困ってしまっただろう。このままであれと願い、とりあえず、被っていた猫をそろそろ脱ごう……とは思う。優しくするのをやめましょう。人を丁寧に扱おうと心がけてはいるのだが、根っこの私はそういうわけでもなく、むしろ人のことを適当に扱う方だ。疑似的な母親、愛される末っ子のような存在ではないな。というかそう言われるとぞわぞわするので、自分の中にそれらのピースがうまくはまらないのだろう。

人を警戒している間はそのはまらないピースを盾に接するので、声が高くなってしまう。それに対して「違和感」がある。

もし、そうした「違和感」を求められていたのだとしたら自然と落ち着くのかな。それはそれでなんだか悲しい気もするが、かといって変な方向に進んでも繰り返し言うが困るので、これでいいのだろう。いやでもさ〜……なんなんだよ!とは思います。難しいですねこういうの。マッチングアプリも合わないわけだ。

確かな好意が後からついてくるのかな。私は人のこと、本当にゆっくり好きになるのでよくわかりません。今日は以上。

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