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【短編】フライナイト除霊

 巷で話題の除霊法の中で、今一番熱いのは当然『フライナイト除霊』だ。二〇〇六年頃に一世を風靡したDJオドルの珍曲、『フライ・ナイト・KINYO』のミュージックビデオを爆音で流し、曲に合わせて塩水に浸したタオルを振りまくるというあの除霊に決まっている。動画サイトを開けば出来る気軽さ、除霊という重々しい言葉に反した明るさがそれはもうウケにウケ、さらに効果も抜群ということでなにかしらの超常現象が起きた際にはとりあえず行われる除霊だ。

 幹川(みきかわ)もそのことは当然知っているが、どうしても効果を信じられずにいた。しかし、幹川が知る、すぐに行える除霊はこれしかない。

 幹川が『フライナイト除霊』を信じきれないのは理由がある。

 そもそも、幹川こそが『フライナイト除霊』を編み出した人物なのだから。


 ◇

 まさか引っ越した先が事故物件だとは思わなかった。

 内見をしていたときはそんな様子を見せなかったというのに、幹川が主になった途端、部屋の様子は変わってしまった。

 ――絶対になかった、あんな染み。

 わかりやすく手型に似た、赤黒い染みが壁一面に広がっている。引っ越し業者が帰った途端にこれだ。外面だけは良い霊らしい。

 幹川がここに住み着くことがよほど許せないのか、段ボールを一箱開けるたびに手型が五つは増えていく。段ボールを閉じると三つ減るが、どうあがいても二つは増える。

 いっそ赤黒い壁をインテリアとして活かすことも考えたが、あまり見ていて気持ちの良いものではなかった。これはもう、除霊するほかない。しかし幹川は引っ越したばかりで、手元にあるのは衣類と、スマートフォンと、すこしの調味料くらいだ。

 幹川の頭に浮かんだのは、数ヶ月前、とあるSNSに書き込んだ与太話だった。

 霊は人間の「生気」みたいなのが苦手なのって本当だったんだな
 ラップ音に対抗してこっちもラップ(DJ踊川の『フライ・ナイト・KINYO』)を爆音でかけて塩水つけたタオル振り回してやったら静かになったわ

 これは幹川の創作話で、ラップ音との遭遇はおろか、『フライ・ナイト・KINYO』を爆音でかけたことも、タオルを塩水につけたこともない。幹川は日々くだらない話を投稿して暇を潰して生きていたのだが、唯一この話だけが日の目を浴び、なんと朝の情報番組で取り上げられるまでに至った。

 実際に試したという人々の感謝の声が幹川の耳にも入ったが、幹川としては適当なことを言っただけなので、いまいち効果を信用しきれていない。こんなくだらない除霊で対処出来るのは、おおよそ気のせいだ。たとえば物音がするとか、何日も金縛りにあったとか。幹川の前に広がる、本格的な心霊現象に対抗したような話は聞いたことがない。

 ただ、考え込んだところで霊の苛立ちは増すばかりだ。あれよあれよと、ワンルームの一面が変色しきった。霊にも美意識があるのか、今度は向かいの壁を染めはじめている。

 これはもうやるしかない。幹川は一応の決心をつけ、段ボールからタオルと味塩を取り出し、シンクへ向かう。水で濡らして絞り、まじないを一振り。

 それから、動画サイトを開いた。実ははじめて観た、ミュージックビデオ。

「フライナイト!」

 幹川のスマートフォンが曲の産声を届けた。その言葉とともに、重低音を中心としたEDMが広がっていく。

「フライナイト!」
「フライナイト!!」
「フライナイトッ!!」

 恥を捨ててタオルを振れば、雫が飛び散り壁を濡らした。赤黒に伝う一筋に、光が反射する。

「フライナ――」
「うるさい!!!!」

 幹川の手からタオルが放たれた。突然しわがれ声が耳元で聞こえたのだからそりゃあそうだ。タオルが激突したところで、壁の色は戻らない。

 むしろ霊の逆鱗に触れてしまったらしく、見る間に四方が染まっていく。だめだこりゃ。諦めるしかない。とりあえず貴重品を持って幹川は部屋を出る。不動産屋に連絡する。さすがに、これは諸々返金対象だろう。

 後に幹川が『フライナイト除霊』がでたらめであったことを打ち明けると、それに続くよう、除霊に挑んだものの効果がなかったという声が次々に上がった。マジョリティを前にしたとき、小さな集まりは気圧されるようだ。

 あの部屋がどうなったのか、それは幹川も知らない。出来れば、幹川がめちゃくちゃにしたものを、プロが綺麗に除霊していると願う。

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