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2022/08/27 コンプレックスの話

ふたつくらいコンプレックスがある。

ひとつは、とにかく「美しいもの」への感度が鈍いこと。なんとなくなのだけれど、私は「美しいもの」がよくわかっていない節があり、これに大学受験のときは苦戦させられた。

いわゆる美大受験をしていたので、デッサンやらが必要だったが、目の前にある、あるいは手に取ったモチーフのどこが魅力であり、どこが美しい部分であるのかを直感的に理解することがどうも出来なかった。

仕方がないので過去の傾向から、どうやらこれが「美しいもの」らしい……という要素を抽出して、それに従うことにしていた。一緒に受験勉強をしていた友人はこの感性が優れていて、「美しいもの」にこだわりがあったので、それを羨ましいといつも思っていた。

なにも視覚的な話に留まらず、私は文章の美しさもあまりわかっていない。人から絶賛される、美文と呼ばれるもののどのあたりに美しさを感じればいいのかがわからないのだ。風景の描写なりが「美しいもの」として讃えられることが多い気はするのだが、これもよくわかっていない。たしかになんか……それっぽいのか?などは思うのだけれど、たぶんこれは私が文章へ情景を求めているのではなく、もっと主観的なところを求めているからだろう。情景そのものではなく、情景からどのようなことを感じるか、の方に関心が強い。

とにかく、「美しいもの」はよくわからない。当然、人の美醜もよくわかっていないので、よほど顔のバランスが良いという場合を除いてはだいたい同じ顔に見える。みんなかわいいよ。

もうひとつのコンプレックスは、特にここ最近悩まされている恋愛や結婚についてだ。これはてっきり、経験値のなさからくるものだと思い込んでいたのだが、どうやらそもそも人より関心が薄いのが本当らしい……ということに悩んでいる。

悩むということは、裏を返すと関心があるような気もするのだが、なんというか、もっと根本が違う。自分にはそういったことへの必要性がポーンと抜けてる気がするのだ。気づいたときはまあまあショックだった。もしかして人と違うのではないか……ということに、案外きちんと焦りを覚えるのだ。

諦めているわけではなく、それを求めようとしない自分の本心に不安になる。たぶん、人から理解されないということがわかっているから余計に怖いのだろう。

とはいえ、自分ごとに置き換えられないだけで、人のそういった話への関心はあるし、聞くのも好きだし、なんなら物語だって創作する。完全に興味がないのではなく、あくまで自分のことに出来ない……というだけなのだ。

まあ、世の中結婚してないだとかパートナーがいないだとかの人も多いので、別に私が悪目立ちすることはないだろう。そのへんは適当にやればいいと思ってる。もうすこし年齢がいけば周囲の関心外にもなれるだろうし。

こちらは今が特に、そういったことへの関わりを周囲から求められるからこそのコンプレックスなのかもしれない。いずれにせよ、出来ないことや気にしていることとは長く付き合うと思うので、自分の中でうまいこと折り合いはつけておきたい。今日は以上。

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