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2021/04/19 無意識に書く

ここしばらく小説らしきものを書くことが出来なかったのだが、一昨日なんとなくポメラを開き、書きかけの文章を読んだらすんなり書けるようになっていた。正しくは小説そのものというより、ずっと詰まっていたプロットの方が「難しく考え過ぎていたな……」「というか考えない方がいいな……」となってすんなり決まった。

難しく考えていたのには自分なりの理由がある。今はなき通勤時間中、私は長時間バスに乗り続けなければならなかったので、その時間だいたい本を読んでいた。小説を中心に、それまで学んでこなかった文章についての本や、脚本についての本、エッセイの書き方についての本も読んでいた。

私はそれまでなんとなく浮かんだものでなんとなく構成っぽいことが出来てしまい、それを小説のプロットとしていたのだが、そこに自分のコントロールが果たして存在するのか疑問に思っていた。降りてきた、とまでは言えないけれど、わりとなにも考えずに地図(プロット)をつくってその道をたどったら(執筆)ゴールに着いてしまう、ということを繰り返していた。私は出来ればそれをコントロールしたかった。そうしたらいつでも、好きなときに、ある程度のクオリティの話が書けるようになるからだ。

ただ、学べば学ぶほどよくわからなくなってしまう。書いてあることの意味はわかるし、それをどう使えばいいのかもわかる。ただ、私が書いていたのは二次創作小説も含まれていたので、どうしてもそれを書くときは自分の考える「面白さ」の都合でキャラクターを振り回していると感じ、本当に書けなくなった。都合で動かしたわりに好みの話とも言い切れなかったし。一次創作の話なら出来るかと思ったけれど、やはりこの好みには合わなかった。派手な山場のレパートリーが私は少ないらしい。(そういう話、あんまり読んでこなかったよ……)

それですこし小説から距離を置いてダイエットなどをしているのだが、しばらく触れないうちに小説への考え方がわりと元に戻っていた。そりゃあ世の中いくらでも書く方法はある。あるけれど、自分はやっぱり、「なんとなく」で書く方が性に合っているようだ。

この「なんとなく」も、再現性の低い「なんとなく」ではない。一応、こういう手段を使うとなぜかこの「なんとなく」を再現出来るという手順やルールはあるのだが、あくまでそれは手順であり、どうしてその「なんとなく」を操作出来るのかは自分でも言語化できない。ただなんとなく、こう書くといい感じになるんだよな……というものが存在している。

困ったことに私はそういうことばかりだ。おそらくだが、経験を無意識へすり込むことを先に行っていて、それを使うためのルールが後から発生しているのではないかと思う。何言ってんだ?という感じですが……これもなんとなくの説明なのですみません。

とはいえ同じ人も多いのではないかと思う。前の職場の職人さんもこういう話してたし。ただ、その場合傍目から見ると「無意識でこういう作業を行っているな……」ということはわりとわかったりするので、私も作業風景を人に観察してもらえばいいのかもしれない。でも人に書いている姿を見られるの、結構恥ずかしいっすけどね。やっぱいいや。



おまけ
「なんとなく」の再現についての箇条書き

・書きたいシーンか設定をなんとなく考える(ここは欲望の話)
・さらに書きたいものを並べまくる(ここも欲望の話)
・それがだいたい繋げられるので繋げる(ここがよくわからない、なぜか繋がったりする)
・時系列順にその繋がりを並べる(ここもよくわからないけどなんか並べられる、これが最初のプロットになる)
・最初のテンポが1番良くなりそうな時間から話をスタートさせて冒頭を決める(ここはちゃんといくつかの時間でそれぞれ書いてふさわしいものを探す。ちなみにテンポの良さの基準は読んだときのリズム感)
・ゴールをはっきりさせる(着地が決まっていればどうとでもなる。最終的なプロットはこれになる)
・プロットに沿って最後まで書けばそれっぽいものになる(私は考えながら書くことが苦手なのでプロットに沿った話しか基本的に書かない)

以上
頭の中でキャラが動いたりもあまりしないのだけれどなぜか出来るので自分でもよくわからん。上手い人はコントロール出来るのかな……。

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