ミクロとマクロ

仕事をする上で、ミクロとマクロの話は切り分けることは常々意識していますが、学生時代の出来事で、今思い返すと「ミクロとマクロの違いかな」と感じることがあるので、書いていきます。

私が大学を卒業したものももう7年前で、特に真面目には講義を受けなかったので、覚えていることは正直多くありません。

ただ、何人か、講義の内容より教授のことをよく覚えていて、その内の1人が、大学1年生の時に受講した社会学の先生でした。
講義の内容は柳田國男の『明治大正史 世相篇』を題材に、明治時代と大正時代の一般的な日本人の生活模様を学ぶ、というものでした。

ある講義の後に、(何を思い立ったのか)教壇にいる先生のところへ行き、「先生はどうして社会学を研究しようと考えたのですか?」みたいな質問をしました(生意気ですね)。
すると、先生は、(私が覚えている限りでは)物凄い勢いで心理学の批判を始めたのでした。主旨としては
 ・人間というのは、社会の在り様に大きな影響を受けるものである
 ・それにも関わらず、心理学は全てを個人に責任を押し付ける学問であり、自分はそれが許しがたい
ということを仰っていました。

一体、彼が心理学からどんな仕打ちを受けたのかは気になるところではありつつ、強烈な熱意を持っている人の言葉は、その熱意がポジティブかネガティブかに関わらず、人の記憶に残るものですね。

さて。確かに先生の仰ることも一理あるかなと思います。一方で、やはりこれはミクロとマクロの議論の混同である気がしてなりません。
大きな視点で見た時には、時代や社会、地域などが人間の意思決定に大きな影響を及ぼします。しかし、個人単位で見た時には、普遍的な反応や因果関係も確実に存在するように思います。

月並みな話ですが、バランスがやはり大事なのかなぁ、とそんなことを感じます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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