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自分事

こんにちは。今週もよろしくお願いします。

人と話しているときに、「この言葉の意味がピンと来ないなぁ」と感じる瞬間があります。
今週、ある人がミーティングで「自分たちは『相互理解』が足りていません」と話していたのですが、『相互理解』という言葉に微かな違和感を感じました。なぜでしょうか?

「相互」という言葉を辞書で引くと「どちらの側からも同じような働きかけがあること。あいたがい。おたがい。」とありました。また、「理解」も同様に調べると「物事の道理をさとり知ること。意味をのみこむこと。物事がわかること。」とのことでした。
つまり、どちらか一方が相手を知っているだけではダメで、両方が働きかけあい、分かり合うことが「相互理解」だと言えます。

そう考えると、なぜミーティングの場で違和感を感じたか、「自分」と「相手」の両者の観点で整理できます。
まず「自分」。確かに、これまでずっと隣で仕事はしてきたが、自分から相手を理解しようとする働きかけは弱かったと言えます。なので、それを指摘されたことに対して、無意識に目を背けたかったのではないか、と思います。
次に「相手」。一方で、相手から、こちらを理解しようとする働きかけもこれまであまりありませんでした。にも関わらず、「相互理解」という言葉を使っていることに対して、腑に落ちないものを感じたのかもしれません(恐らく、相手もまた、無意識なのだとは思います)。

フワッとした言葉はとても便利です。
なぜなら、抽象度が高いが故に解釈の余地が多く、聞く人それぞれが意味づけができるからです。
他方でそれは、言葉の意味を自分から遠ざけることで「他人事」にできてしまうという側面があります。
言葉を遠ざけるのではなく、自分に近づけて咀嚼し「自分事」にする。そして、自分だけではなく、相手も含めてお互いの言葉を「自分事」にする。
「相互理解」とは、まずはそこから始まるのだと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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