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三十にして立つ

こんばんわ。今週もよろしくお願いします。

今回ですが、私が所属しているリブセンスという会社で、今年のゴールデンウィーク中にnoteを100本アップする、というチャレンジをすることになり、その内の1本として書いていければと思います。

私事ですが、現在29歳で、あと一週間ほど経つと30歳になります。
お酒を飲みながら「もう自分も三十路かぁ~」などと感慨に耽っていたのですが、ふと「60歳は還暦、70歳は古希とか名称があるのに、30歳は三十路以外ないのか!?」と思い、調べてみました。

すると、30歳には三十路の他に「而立(じりつ)」、「立年(りゅうねん)」、「壮室(そうしつ)」、「年壮(ねんそう)」などなど、意外と色々な呼び名があるようです。
※ちなみに、三十路という言葉は市民権を得ていると思いますが、ついでに調べてみると、それだけではなく二十路(ふたそじ)、四十路(しそじ)、五十路(いそじ)、六十路(むそじ)、七十路(ななそじ)、八十路(やそじ)、九十路(ここのそじ)もありました。

色々とある30歳の呼び方の中で、而立と立年は、『論語』にある「三十にして立つ」という言葉が元になっています。正式(?)には30歳だけでなく、以下が全文となります。(『論語』とは、古代中国の思想家である孔子と、孔子の弟子たちのやり取りを記した書物です)

「子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」

これを現代日本語に訳すと、
「孔子が言う、「私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。四十才で戸惑うことがなくなった。五十才で天命を悟った。六十で何を聞いても動じなくなった。七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」と。」
となります。
つまり、孔子自身の、人生の節目における境地を表した言葉ということになります。

ところで、リブセンス(Livesense)という会社の社名は、「live」と「sense」、つまり「生きる意味」という造語からできています。

人が生きる意味を、自分の内と外の2軸で分けると、内面では「自分自身が何者であるか、を人生をかけて追究すること」、そして外面では「どんな形であれ、世の中に対してgiveをして、自分が受けた生を社会に対して還元すること」ではないかと個人的には考えています。(少なくとも今の時点では)

そう考えると、私はまだ自分自身が何者であるか、分かっていません。とてもではありませんが、「学問に対する自分なりの基礎を確立した」などと言えません。
ただ、一つだけ、「目の前のコトに対して、精いっぱい取り組む」ことだけは、これまでの人生で(100%とは言いませんが)取り組んできました。そのおかげなのか、「まぁ、いっか」と今思えるくらいには、自分自身に対して諦めがついています。そして、それはこれからも変わらないと思います。

それに、歴史に名を残すような思想家ですら、30歳の時点では「戸惑うことが」あり、「天命は悟」れず、何かしら「動じ」ることはあり、「心のおもむくままに行動」したら「道理に違うことが」あるのですから。焦らず、歩いていけばよいのだ、と思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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