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推しを「見てたい」けど「干渉はしたくない」

きっかけはマヂラブ野田×錦鯉渡辺の対談動画の9:40~から。

動画後半で兎田ぺこらの話題から派生し、VTuberについて語り合う。

渡辺「やっぱ画面に写ってるものが好き。自分に干渉してこないところで、わちゃわちゃしてる女性が好きなのかもしれない」
野田「(女性との)縁がなさすぎて?」
渡辺「縁がな、それもあるかもしんない。わちゃわちゃしてる女性を眺めてるのが好きなのかもしんない」
野田「それはほんとに思いますね」
渡辺「別に入りたくねえんだよその輪にな」
野田「俺がいたら話変わって来るんすよ。ホロライブのメンバーで、みんなでゲームやってるのを見てたい」
渡辺「一緒にやりたいんじゃないんだ」
野田「俺らと違って、外に向かってない会話をするじゃないすか。もうこの中で会話してるんですよ。それがいいんすよ」
渡辺「それがいいの。この感じ理解できない人は理解できないかもな」

自分はVTuberではなく、三次元の女性アイドルを応援していた時期があったが、この会話を聞いた時に妙な納得感と親近感があった。

この感覚は小説「推し、燃ゆ」に出てくる一節を初めて読んだ時と同じだった。

「有象無象のファンでありたい。拍手の一部になり歓声の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい。」

宇佐見りん「推し、燃ゆ」より



自分の中で言語化できないけれど確実に抱えていたものを、ピッタリ言い当てられた。

野田渡辺はVTuberに恋愛感情を持って応援してる訳ではなく、マスコット的な存在として応援しているといえるだろう。

愛情表現としてツイートでは「○○ちゃんとと結婚したい‼️」と言っても、本気で結婚出来ると思って言ってる人はいない(少なくとも自分の周りでは)

そして、自分も推しに干渉したくないと思う時期があった。野田渡辺のような感覚とは、また違ってくるかもしれないが。

具体的には、推しの事は好きだけど握手会やミーグリで上手くコミュニケーションを取れないことのストレスだ。

あの時こう返せたらな〜とかで一人反省会しまくり。もちろん、至近距離で推しの顔を見れる喜びとか会話できたりのメリットもあるが、自分は短い時間で頭の回転が求められるコミュニケーションは得意ではない。

一方、ラジオのメール、ブログのコメントなど何かを経由させたりするコミュニケーションは大丈夫だった。

もっと言えば、イベントでも1(演者)対1(ファン)の対面でコミュニケーションを取ることが苦手だが、ファンミーティングは1(演者)対大勢(観客)なので、気が楽。

数年オタクして、自分は1対1で関係を築きたいんだ!よりも遠くから見守ってたいというスタンスの方が、自分に合ってるんだと自覚できた。

結論

オタクはみんな違ってどうでもいい。
だから好きにすればいいと思うよ。

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