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京都の自然が、一人暮らしの僕をいつも見守ってくれていた

18歳、京都の賀茂川沿いにある学生寮の部屋を借りた。お気に入りのポイントは、窓を開けると見える寮の裏の木々と川のせせらぎが聞こえることだった。

大学からは自転車で15分か20分。家賃は共益費込みで4万5千円の六畳一間。ユニットバスで、洗濯機は共用の、学生寮だった。親がいつのまにか調べて決めてきた部屋だった。これより安い部屋ならいいよと言われたけれど、探してみてもそう簡単には見つからなくて、はじめての一人暮らしで勝手も分からない僕は、まぁいいかと思える、何不自由ないものだった。

大学に通い始めてはじめて気づいたのだけれど、高校の同級生で同じ大学に進学した仲間は、実は6万円近い家賃の、もっと大学に近くてもっと広くてもっときれいな部屋に住んでいた。しかし時すでに遅し。僕はその学生寮に住むことになった。

大学へ通うのに、賀茂川の沿いをずーっと下流に向かって走っていった。下流に向かうと、デルタとよばれる2本の川が合流する地点があり、そこから下流が、あの等間隔にカップルが座ることで有名な鴨川だ。

春には桜がみられ、桜の花びらが風に舞うたびに、僕はヒーローになった気分で、その花びらを自転車で巻き上げて、そのトンネルの中を駆け抜けた。夏にはホタルと出くわした。そろりそろりとできるだけ静かに走り、黄色い光をひとつでも多く数えようと目を凝らした。秋には枯葉の上をざーっと音を立てて、冬には雪に線を描いて、滑らないように注意しながら、毎日走り抜けた。学校に、アルバイトに、そして友達の下宿先に。常に僕はその自然の中を自転車で駆けていった。

楽しいことがあった日も、つらいことがあった日も、僕はいつもそこに戻った(正確にいうと、楽し“すぎた”日には、戻らないこともあった)。

「そんな女、別れて正解や」。僕が彼女に振られたとき、アルバイト先の仲間が川沿いで僕を慰めてくれた。ひとしきり慰められたあと、みんなと別れて戻った自分の部屋で、川のせせらぎがまぁ落ち着きなよと僕を包んでくれた。そのおかげで、変に感傷的になることもなく、静かに寝つくことができた。

またある時、先輩から深夜1時に電話が鳴った。「今、ヒマ?」「いや、それはもちろん、、寝るだけですけど…」「じゃあ今から迎えにいくから、遊びにいこう!」。家の裏の木々は、少し葉をぱしゃぱしゃと叩き、笑うような音を立てて、僕を送り出してくれた。

二十歳前後ではじめて一人暮らしをしていた僕に、京都の自然はいつも声をかけてくれていた。

今、僕は社会人になって、東京に暮らしている。ベランダから聞こえるのは自動車の音だ。耳を澄まして聞こえるのは、地下を走るメトロの小さな振動音だ。時々、時々だけれど、あの京都の声が聴きたくなる時が、今もある。

#はじめて借りたあの部屋

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