日を記すVol.11

12/26 20:02 晩飯時
弱さを認めることが強さでは?


12/28 12:23 職場
理性と自我を分けることで年齢に関わらず、若さを担保しながら経験を積むことができるのでは?

12/31
上司家庭の大晦日に参加。娘さんのピアノは不思議な音だ。技術は勿論のこと、弾いている背中が大きく見える瞬間がある。音が太くて、みずみずしい。この矛盾のような隙間に吸い込まれる自分がいた。おとの中に入り込んでしまう。彼女たちが寝てから、奥さんに自分の曲を聴いてもらった。褒められてうれしい半分、聴者としてのリテラシーが高い奥さんのアドバイスが胸に響く。

「あなたの声だけで成立する何かがある。音と音の隙間を作ること。むやみに音を敷き詰めないこと。」

大事なことを教えて貰った。

~~~~~happy new year!!!!!~~~~~~~~~

1/1
彼女の実家へあいさつに。カルチャーショックであった。ここまで自由でいいのかと面食らった。過度な社会性は理性の発達を阻害するのではないか?と問いがうまれた。

1/2 6:00頃 倉敷ホテルにて
人々が求めていることは信じてもらうことでは?人を信じるという姿勢を他者に見せることに意味があるのでは?

他者に提示したものが伝わらないことは、自らの理性発達が不十分なのではと。

1/3
「~がない、ありえない」ということを証明するには「~がある」事がないと証明しなければならない。すなわちはじめに「~なんてない、~はありえない、~を考えなくてよい」と発言する人間の言葉には注意しなければならない。

てか経験値(知)が高い人間が否定から話をはじめないだろ。審美眼を養え。これを怠るな。

1/4
上司より、「お前は理性の鍛錬が足らん」とのFB。

刺さりすぎて何も言えないし、その晩に反省した結果、今までの人生の失敗の根を垣間見た影響か、発熱を起こす。

同時期に読んでいた本の内容ともリンクする点が多かった。乗り手(理性)が像(自我又は直感)にコントロールされている。像に乗っ取られるな、乗り手としての意識を持て。理性を養うことに徹底しろ。体を壊さぬ程度に。

むずすぎるだろ。

1/5~1/9 体調不良

1/10

月と六ペンスを読む。

1/12
耳が少しずつ回復。嬉しい。音が綺麗に聴こえる。信じる事は最も必要な事だ。

花を買った。名前はストルーヴェにしよう。明日の朝沢山、陽の光を浴びてもらおう。




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