徳を積む

徳を積むことにした。もう、積んで積んで積みまくることに決めた。

私はかなり執念深い人間だと思う。これまでの人生の中で、あいつのことだけは絶対に許さないと思った人が大勢いる。小学生の頃はまだ「水に流す」と言う行為が出来ていた気がするし、どちらかと言えば自分は寛容な性格だと思っていた。だが、思春期を迎えるに従って、心ない言葉をかけられたり、人前で恥をかくようなことをされたり、単純に好きな人にフラれたり、理不尽な思いをしたり、大なり小なりしんどい経験を重ねるに従って奥歯をぎりぎりと噛み締めるようなことが増えていった。

どんなひどい仕打ちをされたって、時が経つに従って相手のことを許せればいいのだ。でも、それができない。かなりの無理難題だ。許せないのなら、忘れてしまえばいい。それもかなり難しい。いつだってふとした瞬間にフラッシュバックする過去の思い出は、頼まなくてもあの頃の自分に引き戻してくれて、毎回新鮮に傷ついてる気がする。あーあ。人に話したらどうってことない思い出かもしれないのにどうしていつまでも忘れられないのだろう。記憶のその部分だけ永久に消し去ってくれれば、それだけで人生が楽になると思う。こんな記憶ばかりでストレージがいつもいっぱいいっぱいだから、疲弊してしまう。

相手に復讐することを考えたことも何度もある。例えば、自分が知っている実態をネットに書き込むとか、ハッシュタグをつけてつぶやいてしまおうとか、文春に売ってしまおうと思ったこともある。きっと本人も業界も巻き込んで大騒動にすることもできる。今の時代、ネットを上手く利用すれば見知らぬ誰かが味方してくれるかもしれない。同じ様な辛い経験をした誰かと手を携えることができるかもしれない。あの時言えなかったことも、遅くなったけどはっきりと言えば良いのかもしれない。それがきっと正しいんだと思う。

でも、やらなかった。

理由は色々あるけれど、一つは、自分の復讐心で相手の人生をめちゃくちゃにすることができても、その人を取り囲む無関係の人達を苦しめたくはなかったから。もう一つは、一度それをやってしまったら、自分が復讐することに味をしめてしまいそうだから。そうなったらきっと、私は今まで許せなかった人全員に何らかの復讐をしていかなきゃ気が済まなくなってしまいそう。それはもう、悲しい化け物だ。

「忘れられない」「過去」「復讐」とかで検索すると、「あなたが幸せになることが最大の復讐です」と言うアドバイスがよく出てくる。それはそうだと思う。相手は私のことを覚えてなんかいないだろう。こっちも勝手に幸せになって忘れてしまえればそれが一番良い。でも、こんなに自分は人生の時間を費やして何度も思い出しては苦虫を噛み潰し続けてるのに、それを上回るぐらいの、打ち消すぐらいの幸せってどれぐらいのもの?
客観的に見て、自分は今、一般的に「幸せ」だと評価されるような条件をいくつか満たしていると思うし、生活の中で「幸せ」だと感じる瞬間は確かにある。でも、じゃああの時のあの瞬間の出来事を許せるかと言われたら別問題だ。たぶん、執念深い私はきっともう何が起きても許せないのかもしれない。あの時のあの人が目の前で土下座したって、あの時の彼がお詫びに5億円くれたって、あの時のあいつが私が経験したよりももっとずっと辛い思いをして人生を棒にふっていたって、きっともう私には許せないし忘れない。それが辛い。許してあげられないことが辛い。いつまでもいつまでも忘れられない自分を生きてることがしんどい。

だからもう、私は徳を積むことにした。もう、来世であんた達と絶対に関わることがないように、現世で徳を積むのだ。来世では私の目の前に絶対に現れないでくれ。仮に出会うことがあったとしても、また同じ様な嫌なことをしてきたら、今度は絶対に言い返す。あの手を必ず払い除ける勇気を持つ私でいるのだ。その為に徳を積む。積んで積んでつみまくる。

徳を積む、というのは仏教の教えの一つだそうだ。でも、私はTwitterとかで軽いニュアンスで書かれている使い方が好きだ。好きなアーティストのライブチケットが当たる様に徳積んどこー、みたいなつぶやきをよく見かける。いいよな、私もそれぐらいの軽い気持ちで、でも確かな欲求のために徳を積もう。これから先また何度あいつのことを思い出しても、「来世では会わない様に徳積んどこー」って心の中でつぶやくんだ。散歩の途中でたまにごみを拾ってみたり、いつもより親切な車の運転を心がけたり、家の掃除を丁寧にしてみたり、なんかそういう小さいことを積み重ねてくんだ。お前が今どんな人生を生きているかなんて私にはもうどうだっていい。幸せでも腹つし、不幸せだって私の傷が癒えるわけでもなんでもない。だから許すことも忘れることも諦めて、来世に期待。そうすることに決めた。

それであわよくば、徳を積んで積んで積みまくったら、あのライブのチケットが当たって、この全身で音楽を浴びにいける日が現世のうちに現れるかも。そしたら最高に幸せだろ。きっとそんな日がいつか絶対くるんだから、ざまあみろ。


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