生への執着

この土日は謎の発疹に悩まされた。

ようやく休みだな〜と金曜の夜。
ゆっくり湯船に浸かろうと服を脱いだその時!
腰周りから背中やら側面やらに広がっている発疹が広がっているではないか!

特に痒みもなく、一か八かステロイド含有の軟膏を塗って過ごしてみたが、なんとなくおさまってきている気配。

病院に行く時間が来週前半は取れなさそうだったので、土曜日の診察に行こうか迷ったが、すーを美容室に連れて行く(ついでに自分も)予約があったのでそちらを優先に。

身重の彼女を1人で新潟まで行ってくれとも言えず、たまには楽しい思いをと思ったので特に後悔はない。
が、この土日は謎の発疹に悩まされて終わった。


ただ今回ずっと頭を悩ませたのは、タイトルの件である。

なにか体に不調を感じると、著しくQOLが下がる。
そして無駄とわかっていながらも、病状をググって不安に駆られる。
このループが非常に苦手だ。

このループの元凶はなにか。
それは突き詰めると『死』に関することだと思う。
ただ、正直に言うと、生への執着は非常に薄いと思う。

私自身、生きていることの辛さを感じることの方が多い。
先日の木村花選手の訃報を受けた時もそうだが、ウェルテル効果よろしく、自分が生きている理由について考えたり、自殺する人の気持ちにも共感する部分があると思ってしまう。

ただ、自ら命を絶とうという気はない。
単純に死への恐怖はあるが、生への執着は特にない。
なんとも言語化しづらい感覚を持っている。

ありがたい事に家族仲がわりと良い環境で育ち、結婚してくれた人がいる。そしてわが子が妻のお腹の中にいる。

ここが無ければ本当に生への執着は0だと思う。
今生きている原動力は、自分が死んだら悲しんでくれる人が少ないながらもいるし、悲しませるのは申し訳ないという点だけだ。
生きたい!といった想いは内在していないと言ってもいい。
外的要因のみ。


ただ、子どもが生まれたら変わるのだろうか。
死ねない理由が内から発現するのだろうか。

今のところ変わらないと思う。
あくまで家族がかわいそうだ、申し訳ないといった思いが軸のままだと予想している。

今は子どもが生まれたあとも心配やらなんやらで生きる苦しみを感じる画しか浮かんでいない。
別に子どもが嫌だとかは全くない。
ただ何事にも心配が先に来て、悲観的に物事を考えて、将来に期待して裏切られる事に怯えている自分の性格なのだ。

そうした性格からも、子どもが生まれることは楽しみである。

自分の性格に影響を与えてしまうほどのパワーを秘めているのだろうか。

今はとりあえず、無事に妻が出産を終えて、無事に子どもが生まれて、家族や周りの人たちが喜んでくれるその日までは生きていたいなーと、いつのいまにか生きている意味が1つ増えている自分がいることに気づいたのであった。

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