Balloon Journey♯1 幼少期の記憶
最初の旅路
さて、オイラは赤い風船。
君も子供の頃に空高く、空高く、風船を手放し遠くへ飛ばした経験があると思う。
風船は、大空へ風向くままに旅に出たままその行方は誰も知らない。
たまに遠くをフワフワ浮かぶ赤や黄の青の丸いものを見つけては「あ、風船見つけた!」と小さい子供が空を見上げて指差すものの、その末路を実は誰も知らない。
よく手紙を括り付けて、「〇〇さんに届きますように」なんて役割を押し付けられる事もあるが、オイラに言わせりゃ大迷惑だ。
風船はフワフワ、自由に飛んでいるように見えて、実は自由ではない。見た事を誰かに伝える事もできないし、口出しもできない。裁判で訴える事もできなければ、訴えられる事もないだろう。そんな風船に役割を与えて押し付けるなんて、愚かな事だとオイラは考えている。割に合わないのだ。
そんなことをフワフワ考えながら、ただ一人の男の子を見守るのであった。
時は1984年。
大阪市内のとある病院で元気な男の子が産まれた。
元気に生まれたその子の名前は「光」
おともだちのわ
由来はよくわからないが、米屋の主人の孫として誕生したようだ。とにかく泣き声がうるさい。親子3代にしてそっくりだそうだが、少し分かりにくいな。
1988年。
あの光という幼子は早くも4歳。2歳年下の弟も生まれお兄ちゃんとして、毎日忙しい日々を送っているようだ。といっても、もちろん勉強や仕事に追われているわけではない。住んでいるマンションはバブル期に建てられた大きなマンションで、同世代の子供が多い。マンションの下の公園で遊ぶ事が日課のようで、毎日公園に繰り出し緑色のコマ付き自転車や滑り台、砂場で遊び公園に行けば常に同年代の子供が遊んでいる、そんな環境だ。不思議と既に子供のコミュニティができていて、同じ年代の子供が遊んでいるが実は決まったメンバーで遊んでいる。親同士の関係なのか、子供の性別、趣向、性格なのか、面白いものでグループ化されている。匠は2グループに属しており、1つはヒロくん、ユウくんという男の子グループ。もう1つはカナちゃん、ユカちゃん、メグミちゃんという女の子グループだ。このグループが一緒に交わることはないが、グループ内ではよく家にも頻繁に行き来している。このコミュニティは後の小学校を卒業するまで続くことになる。男の子グループでの遊びといえば、自転車で公園を駆けたり、走ったりと外遊びが多い。もちろん家にも遊びに行くが男の子同士玩具も趣向は同じ。それに引き換え女の子グループとの家遊びは楽しそうだ。そりゃ、ままごとや人形等、男の子兄弟に与えられない宝の山がそこにはあるのだから。特にままごとに因んだ「●●ごっこ」は楽しそうだ。自分の世界観が広がり、各々が自分の世界に浸りながらその役を演じるのだから客観的に見ても楽しめる。
幼稚園ってなんだ??
1989年。
仲良く遊んでいた女の子グループと別れの時がきたようだ。別れと言っても引っ越しするわけでもなく、遊べなくなるわけでもないが、別々の幼稚園に入園することになったのだ。
いつものヒロくん、ユウくんと同じ幼稚園であることに嬉しさを感じて、特に別れの名残はない。まだそれが分かる年頃ではないので当然といえば当然なのだが、それよりも男女を意識して男の子同士のグループにいる方が自然だと思い始めていたのである。
幼稚園に行く。それが何を意味するのか匠は理解できなかった。
もうそんな年になるんや。早いねー
という言葉をよく耳にするが、それが褒められているのか、もうちやほやしないよ、という意思表示なのか複雑な気持ちになっているようで、いつも光はだんまりしている。米屋の看板息子として、色々な人に可愛いねー、と褒められた二言目に「お父さんとそっくりやな」という、反応に困る言葉と同じだ。
大人になったら・・・
あ、そうそう。光の父親は米屋で働いている。よく近所のサニーという喫茶店に連れて行ってくれる気の良いおじいさんと一緒に仕事している。よくカウンターで伝票を見ながらおじいさんに指示され配達に行く父が光の憧れだ。米屋の精米機で精米して糠の独特の匂いを創ることがおじいさんの仕事、それを袋詰めして圧着して米袋を積み汗にまみれる事が父の仕事。勝手にそのような分担を決めていた光は、常より配達するのが自分の仕事だ、と決め込んで、今度は車の運転に興味津々の様子である。小さなワンボックスの軽自動車。米屋の横の倉庫に止めてあり、勝手に乗り込んでは怒られる、それでもめげずに乗り込んではまた怒られる。それが今の光の仕事であった。
さぁて、少しワガママ気質が出てきたこのチビ助にどんな出会いがあることやら、オイラは風に乗り空高く舞い上がるのであった。
つづく
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