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「怒る」ということについて。

別に最近キレがちとかではないのですが(笑)、
イラっとしてしまうことがある時にいつも思い出すのは、「怒る」ということについて、バナナマンの設楽さんがいつかのラジオで話していたこと。
結構自分の中にも腑に落ちることだったので、思い出したタイミングで書こうかと。

話はバナナマン日村さんからの相談で始まります。

日「最近どんどんむかつくようになっちゃったんだよね」
設「普通は丸くなるのにね、年取ったら(笑)」
日「丸くなるっていうよね、ならないのよ」
設「日村さん昔は丸かったよね?逆じゃん(笑)」


そこから、日村さんが最近若手と飲みに行ったときの立ち振る舞いが気になってしまったり、こうするべきなのになとムカついてしまうという。
そんな日村さんへ、設楽さんから。※意訳です

それね、引き出しが少ないんだと思う。
聞いたことあるんだけど、「怒る」っていうのは、自分の知っている、「それにはこれですよ」っていう経験値がないとき、人って怒るんだって。
さっきの若手の話でも、自分が橋渡しをする経験値がついてたら、怒らないようになる。
経験値がつくほど、丸くなっていくんだろうね。

自分のやり方を一個しか持っていないと、そこからはみ出たとき戻すために強引になっちゃうけど、他のやり方も知ってたら、次こうしてみろよ、が言えるようになる。
だから自分も成長しないと、イライラは募るまま。

けど、年々ムカつくようになってるのは良いことだよ。
日村さんが昔むかつかなかったのって、0だったからじゃない?
けどこうするべき、が1つ出来たから、ムカつくが出てくるようになった。
さらに成長すると、悟りを開くじゃないけど、いろんな経験値があるから許容出来るようになるんだよ。


かなり、「怒り」の原動力としては腑に落ちる部分があって、学生の頃この話を聞いてから、ちょっとイラっと来てしまったときも、自分の経験値が足りないんだな、と変換できるようになりました。
これは人を見るときも同じで、どのポイントでイラッと来るのかによって、どんな経験値が足りないのかな、と変換できる時も。
上司と後輩に挟まれたポジションが数年続いていますが、役立っているような気がします。
いわゆる、自責思考のひとつかな、と。

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